師匠と呼べる存在がいるのは自分自信の成長に大きく作用すると思う。
僕は料理人としての師匠が何人かいる。
19歳で最初に料理人としての門を叩いたのは箱根にあるオーベルジュ・ド・オーミラドーだった。
もちろん、勝又シェフ(ムッシュ)は僕にとって最大の師匠であり、料理だけではなくレストラン経営者としても尊敬に尽きない存在であることは間違いない。
当時ムッシュが言ってたことが今尚身にしみるし、とても役に立ってる。
そして、当時のミラドーのスーシェフ(副料理長)だった稲葉氏も僕の師匠の一人。すでにミラドーで10年以上スーシェフを任され僕より20歳以上年上のベテラン料理人。かの有名なアランサンドラス氏の今は亡き名店 L'Archestrate(ラルケスラート)で修行した人だ。
当時見習いだった僕に料理を直接教えてくれたのは彼だった。
その時ミラドーでは、スーシェフが見習いを直接指導するなんてことは普通なかったのだけど、僕がまだ20歳で、(ひょんなことから)突然オードブル部門のシェフ・ド・パルティエ(部門シェフ)を任されたもんだから心配で見てられなかったのだろう。
それはそれは半端なく厳しかった。徹底的にしごかれた。毎日がなんとか生きてるって感じだった。(2回吐血して気を失ったけど)だから100回くらいはやめようと思った。
そして、限界がきて本当にやめようと思った時に限ってちょろっと褒めてくてりもした。だからやめられなかった。
僕がミラドーをやめた後も、彼は僕をずっと気にかけてくれてた。と言うのも、ミラドーの後、京都に行ったのだけど、それは稲葉さんにここへ行けと言われてのこと。そのレストランは、彼のフランス修行(ラルケスラート)時代の友人の店のこと。
「小川、お前は彼のところでしごかれてこい」と。
当然、断れるわけもなく、僕の意向は無視されたまま話は進んで僕は京都に行った。
やっぱりこのシェフもやはり想像を超えるほど厳しい人だった…。
(ちなみに、僕のスペシャリテである魔法のフォアグラはこの京都のシェフのフォアグラ料理が基礎になってます)
その後、僕はフランスに渡る。
稲葉さんはフランスにいる僕にも手紙をくれた。
いつも「バカヤロウへ」と書いてあったけど…。
そうそう、エルブランシュをオープンし姉妹店もできた時、スタッフをうまく使えなくてと、彼に相談したことがあったな。後輩の結婚式に招待された時、その披露宴会場でのこと。
「ちょっとこっちへこい」と言われ会場の裏の方に連れて行かれ、思いっきりビンタされた。
「人をうまく使おうなんて思ってるからだろが、バカタレ!使おうするんじゃなくて、見せるんだよ、お前が。」ってね。
結婚式でだよ…。(苦笑)
でも、この言葉はかなり効いたね。正直はっとしたよ。
まあ、とにかく彼に褒められた記憶などほとんどない。
でも、20歳の頃から45歳になる今までずっと彼は僕を気にかけてくれてる。
そんな師匠から突然包丁が届いた。
早速電話すると、「もう俺は包丁使わないからお前にやるよ」と。
そう言うことか…
稲葉さんが今の僕の年くらいの時に、ペーペーの僕は彼にしごかれてたんだな、と思うと今の自分が恥ずかしく思う。
この包丁、ギンギンに研いである。
そして重たい。
人の包丁なのになぜか手に馴染む。
これが歴史というものなのか。