
明らかに極上の肉質。
艶のあるきめ細かい肉質を持つ仔羊。
この仔羊は生後3ヶ月ちょっと。
広大な北海道の網走で大事に大事に育てられたサフォーク種100%の純血種。
たった5頭の仔羊の中で1/2頭を僕は仕入れました。
約10万円。
それでも僕は我慢できずに即答でした。
「買います。」
通常6ヶ月以上飼育してから出荷するのですが、
フランスの最高の仔羊、乳飲み仔羊に負けず劣らない仔羊をということで丹念に育てた、
たった5頭だけ出荷することになった網走産の極上仔羊。
手にしたときの感触。
手に吸い付くようなねっとり感。
たまらなく嬉しくなりました。
網走産、生後3ヶ月ちょっとの仔羊
サフォーク種100%
明らかに極上です。
*通常のメニューには載っておりません。
ご予約のみの特別コースです。
いや、フォークは別に驚くほどではありません。
僕が一番驚いたのは、テーブルの中央に細長く横たわっているバゲット(フランスパン)です。
お寿司をたべるのにバゲットなんて絶対無理です。
そのことをみんなに言うと、
「ここはフランスだから、当然バゲットは要るよ。」
とのことで、みんな当たり前のようにバゲットが置いてあることを受け入れていました。
“しょうがないか、ここはフランスだし。一緒に食べてみれば寿司と合わないことがわかるだろう。」
みんなが席に着き、僕もいつもの席に着きました。
「ボナペティ!」
僕が握った、見よう見まねのうそっぽいSUSI。
でも我ながらそこそこの出来です。形は一人前の寿司の形をしていました。
食事が始まると、全員がSUSIを食べながらバゲットを口に運びます。
“うそだろ”
美味しいわけがないはずです。寿司とパンなんて...。
それでもみんな初めてのお寿司を恐る恐る口に入れ、次にバゲットを美味しそうに食べます。
ブルターニュ人は魚介になれているせいか、あまり抵抗なくSUSIを食べ、そしてバゲットも一緒に食べてました。
驚きました。というか、ショックでした。
お寿司とバゲット...。
そんなばかな。
その時、僕は、やはりフランス人ではないことを実感しました。
“僕はフランス人じゃない。フランス人にはなれない。”
僕がフランス人であるはずはもちろんありませんが、あまりにも違う感覚に、僕は呆然としました。
これが文化の違いというか習慣の違いというものでしょうか。
もう、僕は2年以上フランスで生活しています。
フランスの生活には慣れ、今は楽しんでいるくらいです。
この光景を目の当たりにして、何かがふっ切れました。
迷いが消えました。
“ブルターニュに、いやこのままフランスに残るのはやめよう。いつか日本に帰ろう。”
“僕はフランス人じゃなかった...。”
つづく
*この記事は、僕の修行時代のことを書いています。
別れ際にお礼をいうと、シェフは、
「そうか、そうか。それはよかった。」
ギヨーシェフが僕を見つめる目は、どこか悲しくも優しくも感じられました。
“返事を待ってる”
僕にはそんな風にも見えました。
“5年間の雇用契約。5年間ブルターニュに残る”
僕はまだ迷っていました。
あの時、ラ・ボールの美しい海岸を見たときは残ろうかと思いました。
...が、やはり迷っていました。
翌日...
僕はギヨーシェフと普通に挨拶をし、彼も何もなかったように振舞っていました。
まるでラ・ボールでの衝撃的な告白は夢だったかのように。
その日の夜、
ディディエが部屋にやってきました。
生ぬるいビールを2本持って。
そのうちの1本を僕に差し出し、
「シェフから聞いただろ?」
と、おもむろに話しかけてきました。
「えっ!」
僕が驚くと、彼はシェフからもっと前に話を聞いていたといいました。
当然です、こんな大事な話。
ディディエはもう5年近くもギヨーシェフの右腕として、
オーベルジュ・グランメゾンのシェフ・パティシエとして務めてきたのですから。
「どうするんだ、トモ?残るのか、ここに。
このことを知っているのは多分、俺とトモだけだよ。
シェフから最後まで見届けてくれと頼まれた。
俺はまだ残るよ。最後まで見届けれるかどうかはわからないけど。」
「ああ...。わからない。」
僕の返事はあいまいでした。
「そうか、慌てることないさ。ゆっくり考えればいいよ。
トモは自分のいいようにすればいいよ。」
「そうだね。」
“なぜ、僕は迷ってるんだろう...”
ディディエは話題を変え、
「そうだ、トモ、SUSIを作ってくれよ。日本のSUSIを!」
「いいけど。」
とは言ったものの、もちろん僕は寿司など握ったことはありません。
でも、父親が寿司職人だったこともあり、握っている姿は何度か見ていました。
“なんとかなる”
最後に残ったビールを2人で一気に飲み干し、
寿司をまかないで作ることをまず、シェフから許可をもらい、
来週中に、僕が寿司を握ることに決め、
お互いベットに向かいました。
次の日、早速シェフにこの話をすると、
ギヨーシェフは快くOKの返事をくれ、ネタの発注をディディエと計画しました。
準備が整い、僕がフランスで日本を代表して寿司を握る日がやってきました。
寿司酢は日本から送ってもらい、ネタはすべてブルターニュ産でそろえました。
ヒラメ、タイ、スズキ...
玉子も焼きました。
チューブの山葵を日本から送ってもらったのですが、
それを見た見習いの子が「これは何?」と
僕に尋ねたので、
「日本のグリーンマスタード」
と答えると、
彼は指の上に少し山葵を絞り出し、ペロッとなめました。
次の瞬間...
彼は鼻を押さえてのたうちまわりました。
当然ですが。
それを見てみんな山葵は勘弁、ということになったので
仕方なく、サビ抜きのSUSIを握り各皿に盛りました。
みんな、初めて見るSUSIを食い入るように見つめていました。
そして、みんなが席に着いたとき、
僕は驚く光景を目にしたのです。
お皿に盛られたSUSI、小皿に入れた醤油、脇には割り箸。
そして...。
ここはやはりフランスでした。
つづく
*この記事は、僕の修行時代のことを書いています。
穏やかで優しい光で全体を覆っているような感じです。
そんな優しい朝日で目が覚め、再び海岸に向かいました。
昼食をとってから帰るとのことだったので少し時間があったのです。
昨日と同じ海岸を、どこまでも続く白い砂浜を歩き、
その後、街に向かいました。
海や魚や貝をテーマにしたお土産を売っているお店がほとんどでしたが、
その中で青い看板の本屋さんを見つけました。
その土地土地で地方料理がありますが、
ここブルターニュの地方料理を紹介している本がないかと、
その本屋さんに入りました。
たくさんの、ブルターニュ料理を紹介した本があり、
そのほとんどがやはり魚介料理でした。
その中で、水色のきれいなハードカバーの本が目につきました。
タイトルは
「La cuisine du bien-etre (キュイジーヌ・デュ・ビアンネートル)」
“ビアンネートル?”
僕にはこの意味がわかりませんでしたが、
きれいな本だったのと
bien-etreという言葉に魅かれて思わず買ってしまいました。
早速、帰ってギヨーシェフにこの本のタイトルの意味を聞きました。
「人々を幸せにする料理ということだよ。」
と僕に教えてくれました。
僕はますます、この本のタイトル「La cuisine du bien-etre」という言葉を
好きになりました。
この本は、有名なミネラルウォーターのエヴィアンが経営する
ル・ドメーヌ・デュ・ロワイヤルクラブ・エヴィアンというホテルが著者で
そのレストランのレシピが100種類のっています。
どれもこれも身体に優しそうな料理です。
この本に書いてあるレシピも素晴らしいのですが、
僕は何より「La cuisin du bien-etre」という言葉に
魅かれたのでした。
(後に、僕はこの言葉をテーマに料理を作るようになります。)
ギヨーシェフの友人のレストランでみんなで昼食をとり、
たらふく海の幸を堪能してから
ギヨーシェフの夢の詰まったレストランのある
ミュール・ド・ブルターニュに帰りました。
ギヨーシェフはあれから、
マダムの前では病気の話や今後のことなど全く話しませんでした。
僕も何も聞けないままレストランに着きました。
車を降りたとき、僕の手には
小さなバック一つと、水色のハードカバーの本が1冊、
しっかりと握りしめられていました。
つづく
*この記事は、僕の修行時代のことを書いています。