ロティの星 (その6)
ベンチタイムで、肉がいっそうおいしくなるのでしょう?
僕はそれまでも、オーヴンから出した肉を
しばらく休ませることは知っていました。
余熱でゆっくりと肉に火が入ってゆき、
美しいロゼ色が生まれるということも経験で理解していました。
しかし、具体的には、いったいどういう行程で、
余熱で肉がロゼ色になるだろう?
それについて僕はそれまで一度も考えたことがありませんでした。
いえ、なんとなく疑問には思ってはいましたが、
よく分からないままでした。
そして、僕はあるとき気づきました。
焼いても焼いても、次から次へとオーダーが入る、
鴨や、鳩を、あせらず、落ち着いて、丁寧にロティして、
止まること知らずに、お皿に盛り続けていたときでした。
塩茹でした牛の骨髄を混ぜたパン粉を塗って焼き上げる、
ロジェ・ベルジェ氏のスペシャリテのひとつ、
骨付き仔羊の骨髄入り香草パン粉焼きのオーダーが入り、
僕は、あらかじめ下準備してあった、
仔羊肉を210度のオーブンに入れました。
この仔羊肉は、すでに、210度オーブンで焼かれていて、
その後、オーブンを60度に設定して、
ゆっくり余熱で火をいれてあります。
いつも、ディナータイムがはじまったら、
その日の分を予想して、焼きはじめていました。
1個、約1kgくらいの大きなかたまりでロティするので、
オーダーが入ってからでは間に合わないためです。
僕は、それをふたたび高温のオーブンにいれ、
熱々になった仔羊肉を、骨と骨との間に包丁を入れ、
表面につけてある、パン粉を落とさないように、
一気に切りおとしました。
そのとき、熱々の肉汁が、ジュワジュワっとあふれてくるのを、
僕は不思議に感じたのです。
焼く前の冷たい肉には、まったく感じられなかった肉汁が、
オーブンから出したての熱々の肉を切ると、
どこからか、肉汁がどんどん湧き出てきたのです。
その時、分かったのです。
なぜ、ロティにおいて、
ベンチタイムで、肉がいっそうおいしくなるのか?
その答えは、加熱によって、
まず肉の部分ごとの温度差が生まれ、
この温度差を条件に、ベンチタイムに、
肉の内部の肉汁が、肉の内部で対流を起こすからなんです。
この気づきは、僕にとって、新鮮な驚きでした。
僕は、目が醒めたような、
視野がいきなり拓けたような、
新たな次元にはじめて立てたような
そんな興奮を感じたものです。
具体的に話しましょう。
オーブンで熱された肉の肉汁が暖まり、
内部の温度差によって対流を起こし、
肉の中心までゆっくりと熱を運んでいくとき、
そのとき肉はロゼ色になる。
たとえば、ローストビーフなら、
中心温度が60度になったとき、
あの、ピンク色のおいしそうなローストビーフができあがる。
したがって、中心温度が60度になるように、ロティすれば良い。
重要事項を理解するのはかんたんです、
しかしそれを実現するのはけっしてかんたんではありません。
なぜなら200度以上のオーヴンに入れるわけですから、
オーヴンに入っている時間が
もしも長すぎたなら肉汁は蒸発して、ぱさぱさの肉の塊になってしまいます。
逆に、時間が短かすぎるなら、生です。
したがって高温のオーヴンで、肉汁の対流を起こし、
対流が起こったタイミングを見計らって、オーヴンから出し、
60度くらいの暖かい場所で保温すれば、
肉汁の対流で、ゆっくりと肉に火が入ってゆくわけです。
その日から僕のロティ道は、
イメージ・トレーニングの段階に踏み込みました。
肉汁の対流をイメージすること。
肉の中にある肉汁が暖まって、肉の中心に向かって対流する、
頭の中でそのイメージをビジュアル化するわけです、
(たとえていえば天気予報の天気図のCGのようなイメージです)。
しかし、最初は、いったいどういう具合に、肉汁が対流するのか、
けっしてその動き方、運動の流れを、
どうイメージしたらいいかわかりませんでした。
ある日、ストーヴ前(ガスレンジ前)で、
ちょうど火にかかった鍋のお湯がグツグツと沸騰していました。
見習いの料理人が、そこへ野菜を入れました、
(下準備として、野菜を茹でるためです)。
そのとき、僕は彼が鍋に入れた野菜が、
いったん浮き上がって鍋の周縁部(壁側)に向かい、
鍋の壁に沿って沈み、
こんどは中心から、ふたたび浮かんで様子を
見ていました。
中心で浮かび、外側で沈む。
それを見て、僕はハッとしました。
つづく