ロティの星 (その4)
初めてつくったパスポートをにぎりしめ、
関西国際空港にいました。
「必ず、フランスで、本場のフランス料理を習得するまでは、
ふたたび日本の地をふまない。」
そう、決意して、日本を飛び立ちました。
僕はすでに日本で、日本を代表するフレンチレストラン、
オーベルジュ・ド・オーミラドーでの修行などで、
ひととおりの調理技術はマスターしていましたから、
フランスへ行っても便利で重宝なスタッフになれる自信はもっていました。
それでも僕はフランス語はできなかったし、
また三ツ星レストランという未知の世界で、
ほんとうにやってゆけるか不安もまた自信と同じくらいありました。
僕が最初に働いた三ツ星レストランは、
アルザスのランスブルグです。
アルザス地方、バエランタル村という、
ひと気のほとんどない山奥にある、
レストランに、夜になると、
どこから現われるのかのか、ベンツやリムジンに乗って、
はたまた、ヘリコプターに乗って(!)
お洒落な洋服に身を包んだ素敵な人々がやってきます。
みんな、ランスブルグのオーナーシェフ、
ジャンジョルジュ・クライン氏の、
斬新で大胆な料理を楽しみに、
世界中からやってくるのです。
お客様がテーブルにつくと、
三種類ほどのアミューズ・ブーシュがサーヴされ、
そして、緑色の液体の入ったシャンパングラスがふるまわれます。
サーヴィススタッフはおごそかに伝えます、
「一気にお飲み下さい。」
お客様はふしぎな顔をしながら、
それでも好奇心に導かれながら、
グイッと口の中に一気に緑色の液体を流し込みます。
次の瞬間、ちょっとした事件が起こります。
誰もが心の中でさけびます、
「えっ、なに!?? なんだこれは!」
お客様はそれを飲み干したあと、グラスをテーブルに置き、
やがて表情に微笑が生まれます。
実は、それは細長いシャンパングラスの
下半分に冷たいグリンピースのスープを入れてあり、
その上に、そーっと、熱々のスープが注がれていたわけです、
混ざらないように、そーっと。
したがってお客様がこのスープを飲みはじめると
まず、あったかいスープがまず口のなかにひろがり、
次の瞬間、急に冷たいスープが口のなかに流れてきます。
思ってもいない、この出来事に、
舌の温度センサーは追いつけず、
一瞬、なにがおこったかわからなくなるという仕組みです。
それはまさに驚きに満ちた、世界最高のディナーの幕開けにふさわしい
ちょっとしたサプライズでした。
世界中から集まった食通たちは、
これからはじまる、このうえなく素敵であろうディナーに、
胸おどらせ、ワクワクしながら、
目の前に上品に座っているドレスアップした素敵なマダムとの
会話に夢中になってゆきます。
このレストラン、ランスブルグでも、
そしてその後も、ブルターニュにある、
ジャック・ギヨーシェフのオーベルジュ・グランメゾン、
カンヌの小高い山の上、ムージャン村にある、
ロジェ・ヴェルジェシェフのル・ムーラン・ド・ムージャンでも、
僕はロティスリーに配属されました。
僕は、毎日毎日、鴨や仔羊、仔鳩やほろほろ鳥を、
次から次にロティし、ポワレしました。
次々にかかるオーダー、
僕の目の前にはどんどん肉が運ばれてきます。
熱く熱したフライパンに、バターを入れ、
ジュッという音ともにけていくバターが焦げないうちに、
塩、胡椒した鴨肉を、皮のほうからそっと入れ、
肉が焼けて脂が溶け出す音に耳を傾け、
ころあいを見て裏返します。
香ばしく、すこし濃い目に焼けた鴨肉の皮の様子を見て、
僕は満足げに、オーヴンに放り込みます。
すでに、僕の目の前には次のほろほろ鳥が、
順番待ちをしています。
いつしか僕はあることに気づきました。
高級店になればなるほど、肉を煮る(ラグーする)ことよりも、
焼く(ロティする)ことが多いということに。
そう、メニューを見ても、高級レストランにおいては、
メインの料理はロティやポワレ、ソテー、
いわば〈焼く〉という調理法が、だんぜん多い。
イチジクのピューレを塗った鴨胸肉のロティ、
仔鳩のロティ、野生の茸のソテー添え
仔牛ロース肉のポワレ、オレンジソース、
仔牛の腎臓のロティ、マスタードソース、
仔羊背肉のロティ、オニオンのコンフィ添え...
「やっぱりそうだ。一流のシェフたちは、
最高のロティ(焼く)こそを、誇っているんだ。
最高の料理人のプライドの証、それがロティなんだ。
フランス料理にすべてを賭けて、
長い年月かけて調理を極めてきた料理人が、
まさに自分の料理人としての誇りとして差し出す調理法
それがロティなんだ。
僕は、自分の直感が間違ってなかったことをよろこびました。
このまま、ロティを極めるんだ、完璧なロティを。
それが、僕にとって、世界でいちばんおいしいフランス料理への
最短距離なんだ。」
そしてそのヒントが、イメージ。
そう、僕が二十歳のとき、高橋徳男シェフからもらった言葉です。
つづく