ロティの星 (その2)
魚や肉を焼く機会もない、
二十歳そこそこの未熟な料理人の僕が、
いくら、脳みそをひねっても、
答えなどに行き着くはずもなく、
とりあえず、ロティスリーの先輩のやり方を盗むことに、
全精力を傾けました。
当時、僕の働いていた、オーベルジュ・ド・オーミラドーで、
ロティスリーの先輩は、
どうやって肉料理の数々を仕上げているか、
具体的な関心をもつようになりました。
僕は下働きながら忙しく目が回りそうでしたが、
ロティの仕方を、技術の秘訣を
一瞬でも盗み見ようとしました。
ロティスリーの先輩は、
まずフライパンで、肉の表面に、
綺麗に焼き色をつけていました。
次にオーヴンに入れ、
数分後、オーヴンから出し、
肉の弾力を指で触って、
火の入り具合を確認し、
今度は肉にアルミ箔を巻いて、
ガスレンジの上にある棚の上に、
寝かせていました。
そして、いよいよその肉料理を
サーヴする時がくると、
もう一度、オーヴンでさっと温め、
それから肉を切り分け、
お皿の上に盛りつけ、
ていねいに仕上げのソースをかけます。
そしてその皿を
サーヴィススタッフが、運んでゆくわけです。
僕はまさに魔法の現場に立ち会っていました、
しかし(哀しいことに!)当時の僕には、
いったいどこがどう魔法なのか、
さっぱりわかりませんでした。
なぜ当時の僕がロティの要諦について
なにも理解できなかったか、
いまの僕にはその理由がよくわかります。
いまにしておもえば、当時、僕は、
〈余熱で肉に火を入れること〉の
その重要さが、まったく分かっていませんでした。
いいえ、学校で学びはしていました、
肉をフライパンで焼いて、オーヴンで加熱し、
その後、肉を休ませて、余熱を利用して、焼き上げること。
たしかに調理師学校で習いはしましたが、
しかし、当時の僕は、疑問をもっていました、
オーヴンから出してから、
肉に火が入っていくことなんてことが本当にあるだろうか?
ただ肉が冷めていくだけじゃないだろうか?
そのときから、僕は、まかないの当番がくるたびに、
肉を焼きました。いえ、ロティしているつもりでした。
あるとき、いつもは一人前ずつカットしてから焼いていた、
ポークソテーを、かたまりで焼いてみることにしました。
一人前にカットした豚肉は約100gですが、
二十人前分の大きな豚肉のかたまりは、2,1kgもあります。
先輩がやっていたように、まずはフライパンで表面に、
綺麗に焼き色をつけて、それからオーブンに入れます。
確か、オーブンの温度は210度。
さて、どのくらいの時間、オーブンに入れればいいんだろう?
いつもは、100gくらいの豚肉を、4、5分オーブンに入れれば、
十分に火が入っていたから、
その20倍以上あるこの肉は、だいたい、1時間半くらいかな?
オーブンに、綺麗に焼き色をつけた、2,1kgもある豚肉を入れ、
タイマーを90分にあわせました。
その光景を、ずっとみていた、ロティスリーの先輩が、
僕にむかって叫びました。
「おい、小川!お前どんだけオーブンに入れるつもりなんだよ!
90分もオーブンにいれてたら真っ黒になっちまうよ!お前はバカか!」
「えっ!は、はい。すいません。」
「30分だ!30分したら、一度肉の中心にむかって、金串を刺すんだ。
そしたら、その金串をこうやって、下唇の下にあてて、
熱いとおもったら、アルミでまいて、ガスレンジの上で寝かせとけ!
焼けどするほど熱かったらだめだぞ。熱いとおもうくらいだ、いいな。」
「は、はい。」
僕は、慌てました。
「それから、そんなに大きな豚肉のかたまりをロティするのに、
210度は高すぎるよ。180度に温度を下げろ!」
「は、はい。」
僕は、はい、を繰り返すだけでした。
100gの肉を焼くのに4,5分かかるのに、
その二十倍もある豚肉のかたまりが、たった30分で火がはいるのか?
と、いうことは、単純計算じゃだめだな、やっぱり...。
僕は、単純に5分×二十倍の重さで計算し、
約100分という答えを算出し、
さらに、ちょっと早めに、肉の火の入り具合を確認するために、
(先輩が指で肉の弾力をたしかめて、火の入り具合を確認していたように)
マイナス10分で、90分、オーブンに入れることにしたのです。
まったくもって浅はかな考えです。
そう、当時の僕は、ロティ道の
最初の一歩すら踏み出していませんでした。
つづく