ロティの星 (その1)
そう、いまから十五年まえのことです。
先輩につれられて、都内の高級フレンチレストランに、
食事に行ったときのことでした。
そこは、キラキラ光るゴージャスなシャンデリアがぶら下がっている、
重厚なつくりの、まさに超高級といった感じのレストランでした。
真っ黒のタキシードに、蝶ネクタイ、
真っ白のワイシャツとナプキン、
背筋がピンと伸びた、ゆっくりと優雅に歩く、
四十代くらいのサービスマンのうしろに、
銀のプラッターを胸のところまで持ち上げ、
足早に、スマートに料理を運ぶ、
白いジャケットを着た、ギャルソン。
ホールの真ん中には、大きな花瓶に、
これでもかってくらいの、大きな色とりどりの花が
それはそれは美しくいけてあります。
有楽町にある、この超一流レストランは、
当時、高橋徳男料理長の率いる、「アピシウス」。
世界最古の料理書「料理大全」を書いたと伝えられている、
古代ローマ時代の美食家、「アピシウス」の名前を店名にした、
まるで、美術館のような内装のレストランでした。
こんな、豪華で、セレブな内装に、決して劣ることのない、
最高の料理の数々。
次から次へ運ばれる料理に、
僕は、どれにも感動を覚えました。
当時、僕が働いていた、オーミラドーの料理とは対照的な、
どっしりとした、贅をつくした、クラッシックな料理。
日本で三本の指にはいる、グランメゾンに間違いはありません。
そして、この日、僕は、
将来、僕の料理観を左右するくらいの、
とてつもない料理に出会ってしまいました。
そう、僕の、調理法に対する考え方を決める、この重大な一皿。
その後、僕は険しく厳しい、苦難の道を進むことになります。
険しく厳しい苦難の道...、
でも、この道は、僕にとって、一番おいしいフランス料理への、
最短距離でもありました。
切り口は美しいロゼ色、ソースは濃いブラウン
(ほとんどまっ黒です)。
たった二色の、決してカラフルではない料理、
しかし食べはじめた瞬間、僕はびっくりしました。
なにしろ完璧なロティです、
口に入れたときのしっとり感、
うまみがぎゅっと凝縮した感じ。
口のなかに肉汁が広がります、
そうなるともう目の前の皿、
薄くスライスされ、皿いっぱいに盛られたこの料理は、
すばらしく美しく、輝いて見えはじめました、
立派な画家が仕上げた油絵のように。
それは、僕の目の前にあるこのメイン料理、
「吉野鴨のサルミソース、三種の野菜のピューレ添え」
僕は、おどろきました、そして感動しました。
いったいどうやったら
こんな凄い焼き方ができるだろう?
食後に、エスプレッソとミニャルディーズ(小菓子)が出されると、
調理場から、小走りで高橋徳男シェフがやってきました。
僕を、アピシウスに連れてきてくれた、
斜め向かいに座っている先輩は、
以前、このアピシウスで修行されていたこともあって、
それで、高橋シェフが、わざわざ出てきてくださったのです。
そのとき、僕は、まるで憧れの芸能人にでも会ったかのように、
心臓がドキドキして、緊張し、
目の前のエスプレッソコーヒーを飲むのを忘れていました。
もちろん、ミニャルディーズなんか、目にも入ってませんでした。
それでも勇気を振り絞って、たった一つだけ質問をしたことを覚えています。
「あの...、どうやったら、あんなにすばらしいロティが出来るんですか?」
まったくもって、ダサい質問だと、
聞いた直後すぐに、恥ずかしくなりましたが、
あまりにも、鴨のロティがすばらしかったので、
思わず、聞いてしまったのです。
「イメージだよ。」
彼は、僕の目をじっと見つめました。
僕は、その視線に耐えられず、
「ありがとうございました。」
と、この言葉の意味も理解していないのに、
さっさとお礼を言い、下を向いてしまいました。
当時僕は下働きの見習いで、ロティ(ロースト)はおろか、
食材に火を入れることなど、
まかないを作るときくらいしかありませんでした。
僕は、そのときから、ロティという調理法のとりこになっていました。
まずは、ロティだ、完璧なロティをマスターするんだ。
すべてはそれからだ。
「イメージ...。」
高橋シェフが言った言葉の意味を、
僕はずっと考えていました。
つづく