~ 第94章 みんなの期待 ~ <僕の料理人の道>
朝9時、10分前。
そこには、すでに、
コンクールへ出発する準備をしているシルヴァンがいました。
今日が、出発の日です。
少し、緊張している様子でした。
約1時間後...10時を過ぎたころ、
彼は、荷物を全部、白いバンの車に詰め込み、
みんなに見送られて出発していきました。
みんなの期待を背負って。
今にも雨が降り出しそうな、どんより曇った空の下、
彼の乗った白いバンは、軽快に走り出し、
白いコックコートをきた仲間達はみんな、
手を振りながら思っていました。
“彼ならきっと優勝できる”
僕も、そう願いました。
このときばかりは、
“仲間を応援しよう”
そう思ったのです。
3日後、彼は戻ってきました。
いつも以上に険しい顔をして。
結果は...、
どうやら、3位だったらしいです。
彼はひどく重い表情でした。
もともと、明るい表情なんてあまりみせず、
いつも難しい顔をしていたのですが、
今回は、落ち込んでいるのが一目でわかりました。
それでも、「3位なんてすごいじゃないか」と思いましたが、
とてもそんな言葉で励ませそうになかったので、
無意識のうちに、僕は彼に近づこうとしていませんでした。
ポワソニエのセクションのみんなも、気を使ってか、
誰も、あまり声をかけないようにしているようでした。
唯一、調理場を仕切っている、ショレイ氏だけが、
彼の肩に手をかけ、言葉をかけました。
「気にするな、お前はまだ23歳だ。次もある。」
「もちろん、分かってます。ありがとうございます。」
彼は無愛想に、そう答えました。
彼はそれだけショックを受け、落ち込んでいても、
オーダーが入り始めると、その仕事ぶりには寸分の狂いもなく、
いつも以上に険しい表情で、オーダーをこなしています。
遠くから、僕は、そんな暗く険しい表情で、
何かにとりつかれたようにオーダーをこなす彼の姿を見て、
“プロだな”と感心しました。
最後のお客様に料理を出し終えて、
帰り支度を始めると、
彼は、僕のほうに向かってきました。
“わぁ、どうしよう、なんて声かければいいんだ”
と、内心、ちょっと焦りました。
とうとう、何も思い浮かばず、彼は僕の目の前まで来てしまいました。
2m近くある大男です。かなり威圧感があります。
僕は思わず、
「おめでとう。3番目なんてすごいね。」
と、僕は彼を見上げるようにして言いました。
僕は、本当にそう思っていたのです。
彼は、優勝できなかったことで落ち込んでいるのに、
僕は、全く空気の読めてない言葉を言ってしまったと、
次の瞬間、後悔しました。
彼は、僕の言葉に苦笑しながら、
「ジャポンでは、みんなから優勝できるって期待されてたやつが、
優勝しなくても、おめでとうって言うのか。」
と、僕の目をにらみながら言いました。
「えっ、3位になったんだろ、すごいじゃないか。
フランスで3番目なんだろ。
僕なんか、コンクールに出たことないけど、
多分、日本で100番より、1000番よりも、もっとずっと下だよ。
でも、こうやって、フランスの一流レストランで、
修行しているなんて、すごいなぁと思ってるよ。
フランスで3番目なんて、とんでもなくすごいよ。」
全然、励ましにもなっていませんが、
焦った挙句、思ったことをそのまま言いました。
彼は、クスッと笑って、
「トモの砥いでくれた包丁、よく切れたよ。ありがとう。」
そう言って、調理場を出ていきました。
外はもう真っ暗です。
外灯がぼんやり、辺りを照らしているせいか、
彼も、ぼんやり光っているように見えました。
僕は、彼のことが好きではありませんでしたが、
心の奥では、彼のプロ意識を認めていました。
ぼんやり輝いている彼の後姿を眺めながら、
ほんのちょっぴり、彼のことが分かったような気がしました。
つづく
*この記事は、僕の修行時代のことを書いています。