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料理人の休日

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エルブランシュは、柳生さんの育てた仔羊を応援します。その2

最高の食材だけを使って、最高においしい料理を作る。
それは僕の二十歳の頃からの夢でした。
僕が最初に修行に入ったのは、箱根のオーベルジュ・オーミラドー、
大きく立派なオーベルジュで、
スタッフが25、6人いましたから、
まかない用の食材を別に買っていました。
もちろんお客様には世界最高の食材を使うわけですが、
でも、まかない用の肉は冷凍肉やブロイラーでした。
しかもまかないには、ブイヨンも使っちゃいけない、
使っていいのは冷凍肉かブロイラー、あとは野菜と水だけ、
それがオーミラドーのルールでした。
しかも僕が一所懸命まかないを作れば、
怖い先輩たちにさんざんくさされるわけです。
「基本ができてないうちから凝ったことばっかりやるな。」
なんてことも言われましたし、
ゴミ箱に捨てられたことさえありました。
まだしもましなときは、こんな言葉をいただいたものです、
「まぁ、まずいことはないけど、じゃ、小川、この料理に
いくらの値段をつける?」




そんな頃、先輩の稲葉さんが(僕の不満を見透かすように)
こんなことを僕に言いました、
「小川、もしもおまえがブロイラーを使って、
誰よりもおいしい料理を作れるようになったなら、
もしもおまえがその実力を身につけたなら、
いつかブレスを手にしたとき、そのときは
最高の料理が作れるんだぞ。」
稲葉さんのその言葉は、当時二十歳の僕の胸に
焼きつきました。
ですから稲葉さんのその言葉を聞いてからというもの、
当時僕はブロイラーでまかないを作りながら、
いつか自分が料理長になったら、
そしていつの日か自分の店を持ったあかつきには、
最高のブレス鶏を使って最高においしい、
そう、夢のようにおいしい料理を絶対に作ってやるんだ、
と、おもったものです。
なにしろ当時僕は厨房に入りたてで、
まかないくらいしか作らせてもらえませんでしたから。




その後、日本で5年修行した後、
フランスに修行に出て、
フランス各地で星なしから三ツ星まで
いろんなレストランで働きました。
最初はフランス語もろくにわからないため
上司は14歳のフランス人だったりして
下働きうぃさせられましたが、
じょじょに地位も上がり、
店を替わるごとに、ポジションも上がり、
いつしかフォア・グラの捌き方をスタッフに指導したり、
店によっては、2番手を務めたりもしました。




あの頃フランスで学んだこと、覚えた技術は限りなくあって、
一言ではとうて言い尽くせませんが、
ただし料理にとって大事なことは、
適切な調理技術はもちろんですが、
負けず劣らず大事なことは、
つける値段の範囲で、可能な限り良い食材を選ぶ、
そして最高の食材を獲得するためには、
信用を獲得しなければいけません、
業者さんとや契約農家の人たちとの良好な関係の構築など、
見えないところでさまざまな努力があることを
あらためて知りました。
最高の食材を使うためには、まず
自分自身が最高の食材に見合う料理人にならなければなりません。





ですから僕も、日本に帰って来て、
料理長になってからは、なんとかして
可能な限り上等の食材を選んできました、
マダム・ビュルゴーのシャラン鴨、
フランソワ・ユエさんの仔鳩は8年前からのつきあいです、
もちろんそれら極上食材を獲得するためには、
緻密な原価計算が必要で、
ちょっとでも経営のバランスを崩すと、
極上食材を手放さなければならなくなります。
ですから僕は、当時雇われ料理長の時代に、
いつのまにか原価計算のやりくりも覚え、
業者さんの気持ちも考えながら、
それでいて舐められず、対等で友好的な関係を築くように
努力してきました。
もちろん自分の店、エルブランシュを持ってからは、
さらに完璧を目指し、すべての食材を吟味し、
それでいてなんとかほどほの価格に収まるように、
無駄な出費を抑え、奮闘してきました、
もちろんすべては最高の食材獲得のためです。





最高においしい料理を作るためには、最高な食材が必要、
とてもシンプルなことです。
ところが、いつのまにか、知らず知らずのうちに僕は、
それら最高の食材を作る「作り手たち」のことにも、
関心を持つようになっていました。
やっぱりまいにち使っていると、
そんな気持ちになるものです。
そう、ビュルゴー家のシャラン鴨や、
そしてフランソワ・ユエさんのラカン鳩を、
毎日使っているうちに、
僕は、自分に調理場の彼方で、
ビュルゴー家の人たちや、
フランソワ・ユエさんがつながっているように
感じるようになりました。
彼らが最高の肉を育て、僕が最高の料理を作る。
僕は、肉を通して、
彼らと会話をしているような気持ちになっていました。
そしていつしか彼らの考え、
交配、餌、飼育環境、飼育方法にも
関心を持つようになってゆきました。




とくに、フランソワ・ユエさんは、人間のタイプが独特です。
なにしろ彼はいくつかの飼育農家を渡り歩いた後、
あらためてフランス国立農学研究院に入学し、
家禽類の栄養と交配学を学び、
博士号を取得した人。
自分の農場を作るにあたっては、
自分の理想とする環境を探して、
フランスのあちこちを探し歩いて、最後に、
穏やかな気候、ゆたかな自然、
かすかに汐の匂いの混じった空気のする
ラカンの地を選んだそうです。





しかもユエさんは最高の肉質を求め、交配の実験を繰り返し、
餌を工夫し、飼育しながらも野生が残る環境を考え、
そしてフランソワ・ユエのラカン鳩、
そして「樹の上に眠る黒い貴婦人」、
ジェリンヌ・ノワール(鶏)を育ててこられました。
フランソワ・ユエさんは学者肌で、
ほかの養鶏家とは考え方やアプローチが少し違うように感じます。
おそらくユエさんには「ゆたかな自然」と「創造性に満ちた飼育」の
共生という考え方があって、
僕は、ユエさんをとおして、
フランスの畜産・農業文化のゆたかさと、
底力を見るおもいがしました。



日本にもこういう考え方をする、
養鶏家、養豚家、羊農家の人たちがいたなら、
どんなにすばらしいだろう。
それとも、僕がまだそんな人の存在を知らないだけだろうか?
その頃、僕はそんなふうにただおもいをめぐらせていました。







つづく
by le-tomo | 2008-04-20 17:30 | エル ブランシュへ、ようこそ
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エルブランシュ(麻布十番)のオーナーシェフ


by tomohi
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