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料理人の休日

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~ 第39章 諦めない ~  <僕の料理人の道>

親にとっては迷惑な話ですが僕は実家にしばらく居候することにしました。そして必要な書類を集めるために最初の1ヶ月でいろんな人と会い、推薦状を書いてもらいました。肩書きのある人の推薦状が最低3枚必要だと言われていました。今までのコネを使って駆けずり回り何とか3枚の推薦状を手に入れることが出来たのです。そして、僕の作文も必要でした。「なんの為にフランスで働くのか」を書いて提出しなければなりません。
さて、やっと揃えた文章を今度はフランス語に法定翻訳してフランスのサラモラ氏に送りました。「D.D.T.E」と呼ばれるフランスの労働局に申請するらしいです。後は待つだけです。

申請が通るまで1ヶ月以上かかるとのことでとりあえずアルバイトをすることにしました。以前、アルバイトをしていたワインバーやイタリア料理店でお世話になりながら返事を待つのみ。

そして1ヶ月後、全然返事は来ません。
2ヵ月後、音沙汰なしです。「やっぱり駄目なのか?」
不安になり、フランスへ電話をしました。

「ボンジュール、ムッシューサラモラ。その後、どうでしょう?まだ時間がかかりそうですか?」
「トモ、元気か?実は…難しいらしんだ。D.D.T.Eからは何の返事も無いよ。すまない。」

“駄目だったのか”
“もう、フランスでは働けないのか”

ちょっと諦めかけていました。
「これから、どうしようか。フリーのコックになって全国を旅していろんなレストランのヘルパーにでもなろうかな。」なんてわけの分からないことまで考えました。

そんな気持ちが数日続いたある日、アルバイト先のチーフから「どう、フランスへは行けそう?」と聞かれ、僕は、はっとしました。そしてなぜか「はい、行きます。」と答えたのです。

見栄だったのか、意地だったのか、なんだかボヤっとしていた頭の中がすっきりしたようにはっきり答えたのです。まるでフランスへ再び行けることを確信してるように。不思議です。

“そうだ、僕は諦めないんだ。”

僕は家に帰ってからすぐにフランスへ電話をしました。フランスで知り合った一人の日本人料理人に。

彼に事情を話し、それでもなんとかもう一度フランスで働きたい、なにか方法はないか、と必死な思いで相談しました。

すると彼は、
「そうだったんだ。大変だったね。ちょうど良かったよ、俺、ここ、もうすぐあがるからシェフに紹介しておくよ。ここへ俺の代わりに来たらいい。」

僕は自分の幸運に驚きました。

諦めなくて良かった…。


つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
by le-tomo | 2006-06-02 00:57 | 僕の料理人の道 31~40章
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エルブランシュ(麻布十番)のオーナーシェフ


by tomohi
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