~第33章 オー・ルヴォワール~ <僕の料理人の道>
ロティスリーで毎日スー・シェフ(2番手)と一緒に主に肉を焼くことと、肉料理の付けあわせを用意することが僕の仕事でした。いつものようにランチタイムを終えみんなとまかないを食べながら次の休みに「ラ・コート・ドールへ食事に行こう」という話しになりました。ラ・コート・ドールとはこの先、20Km程行ったところにある3ツ星レストランで“水の魔術師”と歌われて名高いベルナール・ロワゾー氏がオーナーシェフの素晴らしいレストランです。ここに来てから今までどこにも行かず、ただアパートとレストランの往復だけだったのでラ・コート・ドールへみんなで食事に行くことは僕にはとても楽しみでした。
そんな無駄話をしながらまかないを食べ終えみんなと一緒に騒いでいた時、シェフが来て僕を呼び出しました。なにやら深刻そうでした。
シェフに連れられシェフルームに入ると男性が一人座っていました。スーツをきちんと着こなした40歳前後のスマートな男性です。その男性の目の前の椅子に座るよう言われ訳が分からずゆっくりと腰を降ろすとシェフが僕にこう言いました。
「トモ、すまない。このまま、トモをここへ置いておくわけにはいかなくなった。」
シェフが何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。続けて立ったまま彼は座っている男性を僕に紹介しました。彼は弁護士とのこと。弁護士と聞いて僕は驚きましたが驚いている僕の事はおかまいなしに弁護士は早口で事情の説明をし始めました。僕の知らない単語を早口で並べられ、僕が戸惑っている姿を見かねたシェフがいつもの優しい声で話しかけました。
「トモ、きっと呼び戻すから、一度日本へ帰って待っていてくれ。」
僕はその時、“僕はもう、ここには居れないんだ”ということがようやく分かったのです。
シェフルームから出るとその足でシェフに連れられ外に止まっている車へと連れて行かれました。運転席にはマダム(シェフの奥さん)が座っていました。
まかないを終え休憩していたコック仲間が何か起こったのかとレストランから出てきてそのうちの一人が叫びました。
「トモ、何処へ行くんだよ!」
僕はどう答えて言いか分からず下を向いたままだったのですがシェフが僕の代わりに答えてくれました。
「トモは日本に帰るんだよ。でも、また戻ってくるから。」
僕は車に乗り込みドアを閉める前になんとか一言声に出してみんなに言いました。
「オー・ルヴォワール」(さようなら)
僕はもう、ここへは戻ってこれない気がしたのです。
今度の休みにみんなと一緒にラ・コート・ドールへ食事に行く約束は果たせそうにありませんでした。
汚れたコックコートを着たままマダムの運転する車に乗って荷物を取りにアパートに向かったのです。荷物をまとめたら近くの駅まで送ってもらう予定でした。その時まだ僕の頭の中は整理できていませんでした。
一体、これからどうすればいいんだろう...。
つづく
*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。