~第21章 覚悟~ <僕の料理人の道>
そして5日目…ランチ営業中、シェフから直接仕事が与えられました。ものすごく簡単な仕事で、バットの中に冷蔵庫にあるくず野菜を引いておけとのこと。早速とりかかりシェフの言葉の中にCourgette(ズッキーニ)と言う言葉があったので使いかけのズッキーニも混ぜてバットに引きシェフに持っていくとそれを見たシェフがいきなり怒鳴りだし僕の持っている野菜の入ったバットを床にたたき落としました。
僕は何を怒っているのか分からず頭の中が真っ白になっていました。
“何を間違えたんだ?確か冷蔵庫のくず野菜とズッキーニをこのバットに入れてこいと言われたはず。”
立ちすくんでいる僕にシェフは「帰れ!」と言い放って別のスタッフに再度同じ指示をしたのです。実際には帰れと言ったのかどうか分かりませんがそう聞こえたのです。言葉が分からなくてもこういうことは雰囲気でわかるものです。何が間違えていたのか分からず隅っこで同じ指示を受けた人の仕事を見ていると僕と同じようにバットにくず野菜を入れてシェフに持っていきました。そしてなんなくOKの返事。
“何が違うんだ。同じじゃないか!”
僕はただの“いじめか”とも思いました。すると、大男のクリストフが僕にそっと教えてくれました。
「シェフは、ズッキーニは水分が多いから混ぜるなって言ったんだよ。」
彼は僕に分かりやすく単語をつなぎ合わせて話してくれました。
部屋に戻りディナーの準備が始まるまでの時間、僕は悩みました。どうしたらいいかわからなくなってしまったのです。“言葉が分からないと無理だ。”
いつも前向きに…のはずだったのですがここ2,3日で早くも意志が揺らぎはじめました。川上のぶ先生に言われた「あなたはフランスへ行って修行する事がどんなに厳しいものか分かってるのですか?そんなあまいものじゃありませんよ。」という言葉が僕の胸を突き刺すように響いていました。日本に帰りたいという気持ちが強く悪魔のように襲いかかっていました。僕はくじけそうになっていたのです。
そんなとき、父の言葉を思い出しました。
以前、僕がオー・ミラドー時代にあまりの厳しさにくじけてしまい父に電話でオー・ミラドーを辞めたいと話した時、父は「いいよ、戻ってこい。」と意外にも簡単に許してくれたことです。そしてもう一つの父の言葉。
「その代わりにもう2度と包丁は持つなよ。」
ここで帰国しても人生が終わるわけではないのでしょうが、今帰国したらもう、本当に料理人に戻れないような気がしました。
“やるしかない”
そう、僕はやるしかないのです。ここでくじけるわけにはいかないのです。
そして、僕はトランクケースにしまってあった帰国用の日本行きのチケットを取り出し破り捨てました。何かあったら日本に帰れるようにとの先輩のアドバイスで1ヶ月オープンの往復チケットを買っていたのです。
これでもう、日本に帰国するには最低でもチケットを買える位のフランス語が出来ないといけません。それは1年後なのか2年後なのか分かりませんでしたが数ヶ月ではないということはなんとなく分かっていました。
チケットを破り捨てたのは、もしまた、こんな気持ちになった時、くじけてしまいそうな自分が嫌だったのです。これでもう、くじけられなくなりましたから…。
僕はフランスに修行に来たのです。そして自分を試しに来たのです。ここでくじけては日本であんなに厳しい修行をしてきたことが無駄になってしいます。
それが僕のフランスでの“覚悟”でした。

つづく
*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。