人気ブログランキング | 話題のタグを見る

料理人の休日

ryorinin.exblog.jp ブログトップ

愛されたマダム。

あれから10年…

10年前の今日、思いがけないことが起こったのです。
平塚にある、僕の大好きなレストランのマダムが48歳の若さで亡くなりました。
4年もの間、彼女は癌と闘っていたなんて...。
僕は全く知らなかった。
それもそのはず、彼女の病気のことは、
本人と夫であるシェフ以外に誰も知らなかったのだから。
それが彼女の気遣いでした。
お客様に気を使わせたくないという、彼女の愛でした。


マダムとの出会いは、
僕がまだ20歳そこそこの見習い料理人のとき。
箱根のレストラン「オー・ミラドー」で修行していたときのこと。
支配人の紹介で、平塚のレストラン「マリールイーズ」のシェフと知り合い、
数少ない休みのときや、仕事を終わったあとの真夜中に、
時々勉強のため働きにいっていました。
このレストランに、マダムはいました。
毎日、笑顔でお客様へ心をこめてサービスしている、
芯の強い、素敵なマダムでした。





ある日、仕事の後、みんなでワインを飲む機会があったときのこと。
僕は調子に乗って、グラスに赤ワインを並々注いで一気飲みしたことがありました。
下っ端の僕は、先輩もいるこの場を盛り上げようと思ってのことでした。

「パチン!」
僕の頬を、マダムのビンタが一発。

「あんたね、ワインをそんな飲み方するなら、
フランス料理なんてやめちまいな!」

僕は、恥ずかしくなった。

数日たって、僕は平塚に向かった。
「謝らなきゃ。」
レストランのドアを開けると、マダムはグラスを拭きながら僕の方を見た。
「あら何しに来たの?」
手ぶらの僕を見てさらに、
「まさか、コックコートも持ってこなかったんじゃないでしょうね。」
お客さんはもうみんな帰ったあと。
調理場ではシェフが鍋を洗っている。
「ボーっとしてないで、早く調理場片付けなさいよ。」
僕は、ちょっとほっとした。
「この前はすいませんでした。」
僕は、マダムに軽く頭を下げ、そのまま調理場に入って、
腕をまくって洗い物を始めた。

後片付けが終わり、お店を閉店した後、
マダムは赤ワインのボトルを持ってきて、コルクを抜いた。
そして僕の前にグラスを置き、その赤ワインをマダムは丁寧に注いだ。
すごく優しく、とても大事に。
赤ワインがグラスに注がれる「トクトクトク」という音がとても綺麗だった。



シェフに殴られ、マダムに怒られ。
未熟ゆえに、ほめられることなんてなかったけど。
でも、彼らの暖かさは僕の心に伝わっていた。
マダムはいつも、僕ら若い料理人のことを心配してくれていた。
お説教しながら、たくさんのことを教えてくれた。
そして、美味しいワインを飲ませてくれた。
だから、僕は一生懸命になれた。
疲れた身体に鞭打ってでも、若さゆえにできた無理。
それでも、今思うと楽しかった。
お金なんてもらわなかったけど、僕にはもっと大切な財産ができた。
「お客様を心から愛する」ということをマダムが教えてくれた。
よくただ働きなんてするよな、なんて言う仲間もいたけど、
その時、僕はお金より大事なものをもらってた。





マダムは、立てなくなるまでお店に出ていたそうです。
そして、病気のことは誰にも言わなかった。
どんなに体調が悪くても、いつも笑顔で接客していた。
誰にも気を使わせたくないと。

マダムは、みんなを愛し、そしてみんなに愛されていました。

マダム…、
今でも、見守ってくれている気がします。




10年前の今日、平成14年10月23日。
尾鷲愛子さんは、享年48歳の若さでこの世をさりました。
あれから10年。
マダムの愛は今でも、僕たちを包んでくれています。

ありがとうございます、マダム。




小川智寛
by le-tomo | 2012-10-23 22:05 | 考えたこと、想うこと
line

エルブランシュ(麻布十番)のオーナーシェフ


by tomohi
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite