~第103章 帰国して、シェフに ~ <僕の料理人の道>
フランス修行、最後の一日が始まり、
そして終わろうとしています。
カンヌで一番有名なレストラン、
“ル・ムーラン・ド・ムージャン”の裏口にある、
白い鉄のドアの向こうに広がる大きな厨房。
この厨房で、ロジェ・ベルジェ氏の太陽の料理が作られます。
広くて綺麗で、整頓された厨房。
オードブルからデザートまで、
各セクションのチームが、
それぞれ一部の狂いもなく、手際よく動き、
それを指示するシェフ・ド・パルティエの声は、
夜が更けるとともに大きくなっていきます。
鍋がガチャガチャ音を立ててぶつかり合う音が僕の耳に、
肉を焼いているときの脂っぽく力強い匂いが僕の鼻に、
オーブンの中でこれでもかと言わんばかりに思いっきり膨らんで、
薄く茶色に色づいた、ふわふわのパンのようなスフレが僕の目に。
すべてが一緒に僕の中にに飛び込んできて、
それはとても心地いい。
音も匂いも消えはじめ、オーブンの中のスフレも全部なくなり、
にぎやかだった厨房が静かになったころ、
僕たち戦士はシャンパンで乾杯しました。
別れを告げ、握手を交わし、夢を分かち合いました。
何人かの仲間は、この日を最後に、それぞれの世界へ旅立つことに。
一人はアメリカへ、
一人はスイスへ、
一人はイタリアへ、
そして、僕はニッポンへ。
飛行機の中、僕は眠れず、
真っ暗な機内でぼんやりしていました。
何かを考えるわけでもなく、何も考えないでもなく、
ただぼんやりと。
帰国したら、僕は東京のフレンチレストランのシェフになります。
100席もある、大きなレストランの料理長です。
不安がないといえば嘘になりますが、自信はありました。
僕はフランスの一流レストランで修行してきたんだ、という自信が。
でも、そんな自信は、いとも簡単に崩れかけます。
美味しい料理を作る。ただそれだけでは、シェフは務まらない。
そんな壁にぶつかるのに、料理長に就任してから何日もかかりませんでした。
この厨房には、僕の部下となる料理人が5人。しかも、大半は僕より年上。
まだ27歳という若造の僕には困難すぎる状況。
もちろん、スタッフの大半が僕より年上であることは知っていました。
知っていて、尚、僕はやってみることにしたのですから。
妬みや嫉妬。そして先輩料理人の見習いへの暴力。
料理を作ることもままならない状況で、僕は悩み、苦しみました。
シェフとはチームのリーダーであるということ。
一流のレストランで修行したのだから素晴らしい料理が作れる、なんてことはなく、
チームを動かすことが出来ない限り、素晴らしい料理なんて出来ない。
料理は、一人で作るわけじゃないから。
僕は、今まで何を見てきたのだろう。
ずっと、一流のチームの中で修行してきたはずなのに。
一流のチームを見てきたはずなのに。
僕は、「料理を作る」ということは「チームを作る」ということなのだと、
シェフになって痛感しました。
いくら素晴らしい技術を習得しても、
人を動かす力がないと、その技術は生かしきれず、
それはイコール、お客様を満足させる料理は作れない、ということだと。
僕の見てきた一流のシェフたちは、みんなそれが出来ていました。
僕は、6年間の雇われシェフ時代に、このことを学びました。
そして、次のステップへと向かいます。
シェフ、そして、経営者という道に。
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ブログを読んでくださってるみなさん、
「僕の料理人の道」なかなか進まなくて申し訳ございませんでした。
僕の修行時代のことを少しずつ(本当にゆっくりでしたが)書いてきました。
つづきも、いつか書き始めると思います。
僕は、この後、2007年にエルブランシュをオープンしました。
経営者という、本当に重たくて重たくて、
時にはひざを地につけてしまうほど重たい責任をしょって、
それでも今、前に歩いています。
この記事を読んでくださっている方に若い料理人の方もたくさんいると思います。
夢を持って困難を恐れず前に前に進んでください。
僕のような若輩者が言うのはおこがましいですが、
生きていると、必ず二つの分かれ道が目の前に何度も現れます。
この別れ道、どちらを選べばいいのか迷うでしょうが、
いつも、困難だと思う道を選ぶといいです。
きっとその道は夢につながっていると思います。
困難だと思う道を選ぶということは、挑戦するということでしょう。
挑戦し続けて、前に進むことが夢への近道ではないでしょうか。
夢は必ず叶う、そう信じて間違いありません。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
エルブランシュ
シェフ 小川智寛
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