~第6章 “やるしかない” ただそれだけ~ <僕の料理人の道>
のはずですが、実はギャルソンをしていたときにすでに調理場の凄まじさに圧倒されていました。でもやっぱりこの日を待っていたのには変わりありません。
真っ白のコックコート。着るだけで胸がワクワクします。
僕の最初のセクションはオードブル部門のアシスタント。“ギャルド・マンジェ”又は“サラディエール”と呼ばれます。
野菜の皮むき、鍋洗い、皿洗い、そしてまた野菜の皮むき、そうじ。たいがいのレストランではコックの見習いの最初のセクションです。
僕の出来ることはとにかく誰よりも早く調理場に入り自分の仕事を終え、先輩が来たら先輩の仕事を手伝い、覚え、それを自分の仕事にするということ。無我夢中に仕事をこなしているうちに、少しずつ仕事も増えてきます。僕が調理場に入る時間は朝3時半。出るのは12時過ぎ。出るといってもよく調理場で寝ていました。技術も知識も乏しい未熟な僕には人一倍働いて人よりたくさんの仕事をこなし体に叩き込むこと。それしかありませんでした。
ただ “一心不乱に”
ギャルソンの時のように本を呼んで勉強する時間なんてほとんどありません。
オー・ミラドーの調理場には“やるしかない”と書かれた額が調理場の誰からも見える場所に飾ってあります。
“やるしかない”
今でも僕の心を震わす言葉です。
つづく
*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。