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料理人の休日

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~第10章  最後のまかない~  <僕の料理人の道>

最後になるまかない当番。何を作ろうかあれこれ考える余裕もなく、とりあえず専門学校時代の教科書を見直して簡単そうなものを選びました。
選んだ料理は

“真鯛のポワレ、野菜のマティニヨン入りブールブランソース”

まかないで真鯛は使えず与えられたメダイという魚で代用しました。魚料理の基本のソース“ソース・ブールブラン”。 いわゆるバターソースですがこれが思っていたより難しく、改めて基本の大切さを思い知りました。

まかないをみんなに配り、またいつものように怒られるか、まかないを捨てられるかするんだろうなと思っていたのですが、意外に支配人やスー・シェフも全部食べていたのに驚きました。そして、まかないが終わりディナーの仕込みに入るその時でした。
スー・シェフの稲葉さんが

「小川、今日のはなかなかうまかったじゃないか。」

と、一言。

その言葉を聞いた瞬間、急に何かがこみ上げてきて思わず涙がこぼれました。すぐにそれが嬉しさからだと分かりましたが。そして父のあの言葉が…。「もう、二度と包丁は持つなよ。」頭の中で響きました。頭が痛くなるくらい。

“やっぱり、料理人はやめたくない。”

強くそう思いました。やめるという決心を覆す決心。“もう、絶対逃げ出さない”と。いい加減ですよね。

そして、数週間後、勝又シェフに呼ばれて…


つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
# by le-tomo | 2005-07-10 13:34 | 僕の料理人の道  1~10章

~第9章 父の言葉~  <僕の料理人の道>

電話に出たのは母だった。一瞬、なぜかほっとした。最初に電話に出るのはいつも母であることは分かっていたのだけど。

「お母さん、俺もう辛くて耐えられん。ここ、やめようと思う。」

母にやめたいというのは、そう勇気のいることではなかったのですが母に「お父さんに代わるよ」といわれた時はただでさえ緊張していたのに更に胸がどきどきして心臓が破裂しそうになりました。

「どうしたんだ。」

父の声がなんだか胸の奥にまで響くように重たく感じた。

“絶対おこられる”
覚悟の上だったのに思わず怯んでしまい、母のときのようにすぐにやめたいという言葉が出てきませんでした。
「お父さん、俺もう、やめたい。」
やっとのことで“やめたい”という意思は伝えたものの用意していた言い訳を伝えることは出来ませんでした。そして父の口から意外な言葉が...。 
  
「そうか、じゃあ辞めて戻って来い。」

“えっ”思わず意外な言葉に僕はおどろくと同時に一気に気が楽になりました。
そこへ、更に続く父の言葉は...

「その代わりもう二度と包丁は持つなよ。」

その意味はすぐに理解できました。理解したというよりその言葉の重みがずっしりと覆いかぶさってくるような感じでした。電話を切った後、辞めると決心したはずなのに心が揺らぎました。

“でも、もう決めたんだから”

そう、自分に言い聞かせて自分で勝手に決めたレストランをやめる日、それは最後のまかない当番の日、そして料理人最後の日が来ました。夜逃げの準備もしました。

“でも本当はここを辞めたかっただけなのに・・・、料理人をやめるつもりはなかったのに・・・。”

最後に作るまかないの為に専門学校時代の教科書を開き、父のあの言葉によって料理人そのものをやめなければならなくなってしまったことに未練を感じながら・・・そんなことを思いました。


つづく

*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
# by le-tomo | 2005-07-04 03:24 | 僕の料理人の道  1~10章

~第8章 初めての挫折~  <僕の料理人の道>

頭の中が真っ白になろうとも一度や二度血を吐いて倒れようともここで逃げたら負けだ。そう思って歯を食いしばっていた毎日でした。

こんなんでフランス料理を作っていて楽しいんだろうか?それより僕はフランス料理を作っているんだろうか?
実はしょっちゅうこんなことを思いながら、いやこれでいいんだ、と言い聞かせていました。




見習いコックの仕事で唯一自分でメニューを立てて全工程を一人で作る“まかない”当番というものががあります。オー・ミラドーではほぼ全員が当番制でこの“まかない”を作っていました。もちろん、シェフも一緒に食べます。シェフに“認められたい”という一心で限られた時間、材料でいろいろ手の込んだものを作るのです。まかない当番は確かにシェフに自分の腕を試せるチャンスですがプレッシャーでもあり苦痛でもありました。

僕の当時の腕ですが、散々なものだったのでしょう。いつも僕のまかないはゴミ箱へ捨てられていました。先輩からは「小川、お前コックに向いてないよ」とまで言われ、ゴミ箱に捨てられた僕のまかないを食べさせられたこともありました。さすがに“向いていない”といわれたときはショックでした。

そのショックを引きずったままのある日のまかない当番のことです。フライパンで熱々に熱した大量のバターを右腕に自分の不注意でかぶってしまったのです。手首からひじまで大火傷。
その時でした。

スー・シェフの指示で先輩達が僕を羽交い絞めにして火傷した腕をバーナーで焼いたのです。何が起こったのか、信じられない光景に痛いとか熱いとかわけが分からず気が遠くなりそうでした。そして、冷水で冷やし、油を塗ってガーゼを巻いてビニールテープでぐるぐる巻き。
これが応急処置でした。

バーナーでの2度焼きの理由は残った皮を完全にはがし治りを早めるためだそうです。ちゃんとした理由があったとしてもその時僕は“殺される”とさえ思いました。

“もうだめだ。フランス料理を作るのは楽しくない。”

洗面器に氷水をはって火傷をした腕をつけていても痛みで眠れずこんなことを思いました。
そして“辞めよう”と。

調理場に入ってまだ、一年目。初めての挫折感を味わい、オー・ミラドーを去ることを決心し、実家の父にそのことを告げるために公衆電話の受話器を手に取りました。

そして、父の言葉は…意外でした。



つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
# by le-tomo | 2005-06-28 12:32 | 僕の料理人の道  1~10章

-le Homard- カナダ産活オマール海老

-le Homard- カナダ産活オマール海老_c0007246_2285640.jpg
カナダから空輸で送られてくる活けのオマール海老。僕が使うのは1匹約600gのもの。新鮮なので身がぷりぷりしてて海老好きにはたまりません。このぷりぷり感と甘みを最大限に引き出すために火入れには神経使います。




-le Homard- カナダ産活オマール海老_c0007246_1101557.jpg

# by le-tomo | 2005-06-12 02:29 | 僕が選んだ極上食材

~第7章 調理場は戦場~  <僕の料理人の道>

夏の終わりのある日の夜中、何かの番組のテレビ撮影をディナータイムが終わってから撮り始めた時でした。今日はもう寝る時間ないな。そう諦めていました。数時間の撮影が終わり、時計は午前2時を回っていました。毎日、朝の4時には調理場に入り休みもないまま“ミラドーの夏”を乗り越え少しばて気味でしたがそこは若さで持ちこたえていた…はずでした。

スー・シェフ(副料理長)の「洗い物片づけたらあがれよ!」の声を聞き、「やっと終わった」と思ったその瞬間、急に胸の奥から何かがこみ上げてくるのと同時に気が遠くなりそうになり、“やばい”と思い無意識で調理場から裏庭に飛び出そうとしました。“調理場で倒れるわけにはいかない”と本能的に思ったのでしょう。真っ白な蛍光灯の明かりから薄暗い月明かりが目の前に広がったかどうか。実は覚えていません。気がついたときには裏庭の土の上に寝かされてスー・シェフが僕の頬をビンタしていました。そして元々白いはずの汚れたコックコートの胸のあたりに真っ赤な模様が…。

倒れたのは午前2時過ぎ、気がついたのは3時頃だったでしょうか。「早く帰って寝ろ」スー・シェフにまるで血を吐いて倒れたことが大したことじゃないようにあしらわれて、“このままじゃ死んでしまう”と思い、急に怖くなったのを覚えています。3~4時間後、またいつも通りに調理場に立っていました。その時、目には“やるしかない”の文字が、耳には“やるしかない、やるしかないだろ!”と誰かの声が木霊していました。

調理場は戦場といいますが、僕はいつも何かと戦っていました。ただ敵が何かは分かりませんでしたが。手にしている野菜でしょうか、優雅に食事しているお客様でしょうか、もしくは頭の中が真っ白になっている自分だったのでしょうか。



つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
# by le-tomo | 2005-05-29 23:28 | 僕の料理人の道  1~10章
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エルブランシュ(麻布十番)のオーナーシェフ


by tomohi
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