料理人の休日

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父と僕とトマトの話  第一話

なにかを食べて、なにかを思い出す、
そんな体験はありませんか?
たとえばプティットマドレーヌを食べてむかしの記憶をおもいだす、
そんな有名な小説があるそうですね、
(僕は読んでいませんけれど)。
僕の場合は、トマトでした。
トマトが僕のむかしの記憶を思い出させてくれました。
僕の故郷、福井県にある、白方町のトマト畑で、
ピンポン玉くらいの大きさの真っ赤なトマト、
そのトマトを口にした瞬間、
僕は、十八歳のころの自分の思い出が、
突然フラッシュバックしてきました。







あの頃、僕は十八歳で、
運転免許をとりたてでした。
僕は、運転免許を手にしたその日から、
車を運転したくて、したくてたまらなくなっていました。
僕は、すぐに父の車、
白いパルサーを貸してくれと、父に頼んだもの。
父はこころよく承諾してはくれたものの、
ただし、危ないからといって、
自分が助手席に同乗するという条件付でした。




「さぁ、どこへ行こうか。」
車に乗ったはいいものの、行き先も決めてないし、
道も全然分かりません。
僕には、家から学校までの道順くらいしか
思いつきませんでした。





父が僕に提案しました。
「ほんなら、三国にでも行くか。」





つづく
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by le-tomo | 2008-10-31 13:33 | 父と僕とトマトの話

ロティの星 (その10)

フランス料理にはロティのほかにも、
たくさんの調理法があります。


食材がどんぷりとつかるくらいのワインやフォンをいれ、
何時間もぐらぐらに煮て、食材をやわらかく仕上げる、ラグー。

食材の1/3程度のだし汁を入れ、蓋をして、蒸し煮にする、ブレゼ。

水又はブイヨンなどで茹でる、ブイイール。

格子状に焦げ目をつけて焼き上げる、グリエ。
(焦げたところと、焦げてないところのギャップがたまりません)

食材がジャンプするように、炒めるようにフライパンで焼く、ソテー。

フライパンに蓋をして、
内部を小さなオーブンのような状態にして蒸し焼きにする、ポワレ。
(現代では、どこか一辺以上が平らな食材を、
動かさずじっくりフライパンで焼くことを指すことが多いです)

油で食材を揚げる、フリール。

あらかじめ調理しておいた食材にソースをあわせて、
表面にパン粉やチーズをふって、焼き色をつける、グラタン。

蒸気をつかって蒸し上げる、ヴァプール。

どれも、フランス料理をつくるために必要なすばらしい調理法です。

そして、これらの調理法の中でも、
特に、ロティ(ロースト)には、無限の創造性がひそんでいます。



たとえば僕は去年、
とある高級インドレストランで、生まれてはじめて、
「ほんとうにおいしいタンドリー料理」を食べました。
驚きました。
そのインド人のシェフは、
あらかじめマリネしてある鴨の小片を、
金属の串に刺し、タンドリー釜に入れ、
その炉のようなオーヴンを使って、
ざっと五分で鴨の小片を焼き上げるのです。
ざっと五分で焼きあがった鴨は、
釜の温度が300度であることを示していました。
(フランス料理なら210度がきっかけの火入れです)。



しかもインド人シェフが僕の目の前でタンドリー釜を相手に
料理を進める光景は僕にとって興味深いものでした。
シェフは途中で、釜の蓋を加減し、
(タンドリー釜の温度管理はすべてシェフの長年の経験からくる勘です)、
仕上げの一分くらいはいったん鴨を取り出し
アルミホイルに包んで、ふたたび釜に入れていました。
しかも焼きあがってサーヴされたタンドリー鴨は、
鴨の断面に、肉の外側からと(中心にある金串が、釜の底で燃える炭の熱を伝え、
したがって肉の中心部からも加熱されています)、
そして肉を切ってみるとその断面には、
まさに二方向から加熱されたことを示す焼きむらがあって、
そのグラデーションが、
心地よい食べ心地を生んでいました。



おいしかった!
そのおいしさは、フランス料理の目指すおいしさとはまったく違っていながら、
それでいて一流の料理としてまったく遜色がありませんでした。


フランスでも、もちろん、
大昔にはオーヴンなどなかった時代があります。
薪をくんで、火をおこし、
その火を自在にあやつる昔の料理人は、
まさに、ロティの達人だったでしょう。
温度管理が出来るオーヴンが出来てから、
まだ百年?くらいしかたっていません。

このインド人シェフのように、
体で熱を感じ、炉を自由自在にあやつり、
そして、食材をロティしていく、
しかも美しく、完璧に...。


僕はまたしても、ロティの無限の可能性を、
見せつけられるおもいがしたものです。
同時に、僕のロティなんて、
まだまだ、体全部、五感全部を使ってない、
ということも思い知らされたように感じました。

そして、同時に、
たとえ古代ギリシアーローマ時代であろうと、
必ずやすばらしい料理人はいたはずだと、
そう、温度管理のつまみなんてなくても、
ロティ道は歩んでいける、そしてたどりつける。
彼のタンドリー鴨が、その技術が、
僕にうったえかけているようにも思えました。



僕はいまでも、十五年まえのあの日、
アピシウスの高橋徳男シェフのつくった、
「吉野鴨のロティ、サルミソース」を
リアルにおもいだすことができます、
切り口は美しいロゼ色、ソースは濃いブラウン
(ほとんどまっ黒です)。
そして食べはじめた瞬間の感動を。
口に入れたときのしっとり感、
うまみがぎゅっと凝縮した感じ。
口のなかに広がる肉汁、
薄くスライスされ、皿いっぱいに盛られたこの料理は、
すばらしく美しく、
立派な画家が仕上げた油絵のように、
輝いて見えはじめましたものでした。

僕の目の前に、まるで神のごとく、
まぶしい光を放って座っている、
堂々とした貫禄の高橋シェフ。
彼は、あのとき僕に、
最高のロティのヒントを、
たった一つだけくれました。

「イメージだよ。イメージ。」



あの夜から僕は、最高のロティを、
そしてロティの道の可能性を追い求めつづけています。
肉をオーヴンに入れるときの器の形状、 材質、
オーヴンに入れる時間とベンチタイムの時間の関係、
温度と湿度のつかいわけ。
探求に終わりはありません。




僕は自分のレストラン、エルブランシュをつくるにあたって、
最高のロティを、最高のポワレを実現するために、
厚さ3センチの鉄板を導入し、
さらには(湿度が調節できる)スチームコンベクションを導入しました。

「フォワグラのポワレ、シェリーヴィネガーソース」
僕のスペシャリテであるこの料理は、
まだ、僕にとって第一期の集大成にしかすぎません。
さらなる集大成を目指します。
それこそが、僕の、料理人としての成長そのものですから。




ロティとは、
決して手の届かない、夜空に輝く星のような存在です。
それでも、僕は精一杯手をのばします。

ロティ道、
この道がどんなに険しい道のりであっても、
僕は前へ前へと進んでいきます。


僕は、厨房に立ちつづける限り、
永遠にロティを追い求めつづけるでしょう。
なぜならロティこそ調理法の女王、
僕のフランス料理の永遠の夢ですから。




おわり
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by le-tomo | 2008-10-22 05:03 | ロティの星

ロティの星 (その9)

肉は、短い眠りのあいだにも、
ひそかに自分自身をすばらしくおいしくしています、
そこにはまさに料理の神秘が息づいています。
料理人は、その神秘を眩しく見つめながら、
細心の注意を払い、経験を重ね、
ロティ(ロースト)技術を高め、
創造性をつちかってゆくことができます。




フランス料理の火入れのテクニックは、
ロティール、ポワレ、ソテー、グリエ、ブレゼ、ラグー、ミジョテ...
と十種類以上ありますが、
歴史的に見ると、すべてロティとラグー(煮込み)が
分岐し、個別に発展していったものです。
たとえば中世からルネサンスにかけて、
調理法の基本は、ロティとラグーだったようです。
料理書を眺めると、おもしろいことにいろいろ気がつきます、
たとえば中世からルネサンスの時期に、
大きな串に肉を刺し、水平に火にかざし、
肉を回転させながら焼いていたようです、
あれは見た目は派手で景気もいいですが
しかし現代の料理人にいわせれば、
ずいぶんもったいないことを・・・
とおもってしまいます。
なぜってせっかくのおいしい肉汁を全部、
落としながら焼いていたわけですから。




僕はけっして料理の歴史の専門家ではありませんが、
僕の考えでは、
〈近代フランス料理の調理法の発展は、
肉汁をいかに活かすか〉
からはじまったのではないか、とおもっています。
〈肉汁をいかに活かすか〉、
そこから(ちいさなオーヴンとして)フライパンが生まれ、
同時に(?)オーヴンも誕生します。
余談ながら、十九世紀初頭におけるソースの独立は、
ラグーからの分岐・独立・発展といえなくもありません。




ロティこそ、フランス料理の精髄。
厳しいクォリティ、その遥かなる高みを支える技術の背骨であり、
調理法の女王です。
僕の料理観は、
一にも二にもロティであり、三も四もロティ、
五番目がようやくポワレです。
(そもそもポワレは、ロティの親戚のようなものです)。




しかもロティには無限の創造性がひそんでいます。




つづく
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by le-tomo | 2008-10-18 02:23 | ロティの星

ロティの星 (その8)

僕のロティ(ロースト)技術は、
こうして、フランスの星つきのレストラン、
ブルターニュのオーベルジュ・グランメゾンや、
アルザスのランスブルグ、
そして、カンヌのル・ムーラン・ド・ムージャンで認められ、
僕も料理人としての自信をもつことができました。




鴨や仔羊肉は、きれいなロゼ色に、
鶏肉や豚肉は、しっとりと。
今では、意識しなくても頭の中で、
肉の中の肉汁が円を描くように対流して、少しづつ中心に熱を運び、
おいしく焼けていく様子をイメージできるようになりました。



しかしその後も僕のロティの追求はずっと続いています、
もちろん帰国して東京のフレンチレストランの料理長になってからも、
僕は自分のロティを追い求めました。
ロティを追求しつづければ、
未知の料理の可能性がいくらでも拓けるのではないか。
僕はそう信じて努力を続けました。




そんなある日、生まれたのが、
僕のスペシャリテ
「フォワグラのポワレ、シェリーヴィネガーソース」です。


僕のこの一品は、ふつうならば堅めのフロマージュのようなフォアグラを
円を描く肉汁の対流をイメージし、
ふたつの温度をつかいわけて加熱し、
ベンチタイムを挟むことで、
外側の輪郭だけを残し、プリンのように
ぷるんぷるんに仕上げます。
この料理は(小品ですから)ポワレと呼んではいますが、
じっさいにはオーヴンを使いますし、
僕のイメージは、実は、ロティです。




この焼き方にいたるまで、
僕は何百回もフォワグラを焼きました。
そして、同じだけ失敗しました。
ちょっとでも火加減を間違えると、脂がどんどん溶け出し、
輪郭はくずれ、小さくしぼんだようになってしまいます。
ちょっとでも長くオーヴンに入れすぎると、
がちがちに固まって、食べるとパサパサです。
それでもなお、僕は、僕の理想を信じ、
今までのフォワグラの焼き方を捨て、
フォワグラを焼き続けました。
なぜなら、僕は、今までの経験で、
この料理の完成を確信していました。
僕の理想のフォワグラのポワレはきっと出来ると。
フレッシュのフォワグラを、
普通より、かなり分厚く切って、
小麦粉はつけずに、塩、胡椒だけし、
外側の輪郭だけをぎりぎりで残して、
中はプリンのように ぷるんぷるんに仕上げる、
それが、僕の理想のフォワグラの焼き方、ロティ。





おもえばフォアグラこそはまさに、
ロティを尊び、ロティを愛する料理人のための
食材にほかなりません。
なぜなら、なんとも繊細な食材で、
なにしろフォアグラはデリケートで扱いにくく、
加熱すると、どんどん脂が溶け出してしまうので、
調理するには、充分な注意と、
完璧なロティ技術、そして明快な方針が必要ですから。





僕のスペシャリテ、
「フォワグラのポワレ、シェリーヴィネガーソース」を
ぜひ一度お召し上がりください。
きっと、今まで経験したことのない未知の世界へ、
そして創造の世界へ、あなたを導いてくれるでしょう。
また、僕にとって、この一品は、
ロティという調理法が僕に与えてくれた
さまざまな夢の結晶であり、
それと同時に僕の料理人人生の最初の八年のすべてが、
この一品に結実していると言っても、過言ではありません。




つづく
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by le-tomo | 2008-10-01 11:58 | ロティの星
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オーナーシェフとしてのいろいろ。


by le-tomo
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