料理人の休日

ryorinin.exblog.jp ブログトップ

<   2007年 01月 ( 3 )   > この月の画像一覧

ご挨拶

私、小川智寛は2006年12月末日をもちまして、6年間に渡って料理長を務めました「ラフェ・クレール」を円満退社いたしまして、この度念願の自分のお店を、ソムリエである弟、小川雅之と共に開くことになりました。
「ラフェ・クレール」では皆様にひとかたならぬご愛好をいただき、厚く御礼申し上げます。
ただいま、私たちの新店「Aile Blanche」(エル ブランシュ)の開店の準備中です。
当初2月初旬オープンを予定していましたが、工事の遅れもありまして3月初旬オープンになりました。

私はフランスでの修行中に「la Cuisine du bien-être」(ラ・キュイジーヌ・デュ・ビアンネートル)という言葉に出会いました。この言葉は「人々を幸せにする料理」という意味です。
この言葉との出会いをきっかけに、前職のレストランの料理長に就任したときから私は「身体に優しいフレンチ」をテーマに料理と向き合ってきました。
「身体に優しいフレンチ」とはただ低カロリーであるということではなく、優良な生産者と真剣に向き合い、安全な食材を調達することからはじまります。これらの厳選された食材の「力」を最大限引き出すために、料理の基本である塩や水にまでこだわっています。
数種類の天日塩を使い分け、宝石を通して作られるミネラルウォーター「エレン水」を使って作られる「身体に優しい」料理はお客様からも大変好評を頂いていました。

今年3月、麻布十番にオープンするレストラン「エル ブランシュ」は20席ちょっとの小さなレストランですが、弟、小川雅之と力を合わせて、「身体に優しいフレンチ」とインパクトではなく「余韻を大切にしたサービス」で幸福感のあるレストラン創りを目指したいと思います。
新しいレストラン「Aile Blanche」(エル ブランシュ)で皆様とお会いできる日を楽しみにしています。



                                        エル ブランシュ
                                     オーナーシェフ 小川智寛
[PR]
by le-tomo | 2007-01-28 12:49 | エル ブランシュへ、ようこそ

~第59章 雨の日が多いブルターニュ~  <僕の料理人の道>

日本で言うと大晦日の日に僕はパリに向かいました。
ブルゴーニュのレストランへ行くまで少し日にちがあったので、パリに住んでいる友人宅にしばらく居候することにしたのです。彼は僕と同郷で、フランスに料理の勉強に来てはや5年が経とうとしていました。彼はその時、4年間勤めたルーアンのレストランをやめて次の職場を探しているところでした。

パリからRER(高速地下鉄)にのって、ディズニーランド方面に向かう途中に彼の住んでいるマンションはありました。そこは3LDKの間取りに3人でルームシェアするタイプのもので、香港人の女性も一緒に住んでいたのです。それにはちょっと驚きました。国籍も、性別も関係なく誰が一緒に住むことになるのか分からないなんて日本ではちょっと考えられないですから。

2,3日そこで寝泊りして、僕はブルターニュのレストランに向かいました。
去年、アルザスから手紙を出してOKの返事をもらった2つ星のレストランです。
ブルターニュは海の幸の宝庫。多分、フランスで一番、魚介料理が豊かな地方でしょう。
プロヴァンスもブルゴーニュもアルザスもそれぞれに素晴らしかったのですが、海の幸をふんだんに使ったブルターニュ料理は、これから日本へ帰ったあともきっと役に立つと思ったのです。

僕は魚介料理が得意なブルターニュ地方に凄く興味がありました。
あと、ブルターニュといえば、クレープやシードルなども有名ですよね。

駅を降りスーツケースを引きずりながらレストランまで行きました。
エントランスで受付の女性に、去年もらったOKの手紙を渡し、説明しました。
5分ほどして、男の人が現れました。

「ボンジュール、ムッシュー。今日からお世話になります日本人のオガワトモヒロといいます。」

と挨拶をすると、彼は思いがけないことを僕に言いました。

「悪いが、あなたはここでは働けないよ。ちょっといろいろあって雇えなくなった。帰ってくれ。」

僕の頭の中は真っ白です。
何!?何が起こったの!?

「えっ!雇い入れるという返事の手紙を頂いています。お願いします。他に行くところがないんです。」

必死に食い下がりましたがダメでした。

僕はその日から働くはずのレストランから追い出され、ドアを閉められた後もしばらく呆然と立ちすくんでいました。

どうしよう...

後ろを振り返り、とりあえず駅のほうに向かうと電話ボックスが見えました。

“とりあえず彼に電話しよう”

昨日まで居候させてもらった友人に電話しました。

彼は僕を心配してくれて、快く迎え入れてくれました。
再度、今来た旅路を憂鬱な気持ちで戻ることになったのです。
来るときは晴れていた空が曇りだして、今にも雨がふりそうです。
ブルターニュ地方はフランスでも雨の日が多い地方でした。

つづく



*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
[PR]
by le-tomo | 2007-01-27 01:35 | 僕の料理人の道 51~60章

~第58章 忘年会~  <僕の料理人の道>

12月30日、この日はランスブルグの忘年会です。
シェフの友人のレストランでこの忘年会は行なわれました。
夜8時スタート。この前のケータリングのときみたいにみんな、おのおのの車にのりドイツの国境沿いのレストランに向かいました。このレストランはミシュランで1つ星の評価を受けていて、目の前の川を渡ったらドイツに入ってしまうほどぎりぎりの国境添いにありました。
全員が席に着くと、このレストランのシェフが挨拶に来て、まずは乾杯酒がサービスされました。

もちろん、乾杯はアルザスのシャンパン「クレマン・ダルザス」です。

そして、料理が続々と運ばれ、みんな好き好きにおしゃべりをしながら食事を楽しみました。
この一年間にあったこと、来年のこと、料理のことなどそれぞれおしゃべりを楽しみました。すでに上下関係は全くなくなっていました。
16歳の見習いはシェフのクレイン氏とサッカーの試合のことで言い争っているくらいです。

辺りを見回すと、僕たち以外のお客さんが見当たりません。
どうやら、貸し切りらしいのです。

僕は明日パリに向かいます。このディナーがアルザス最後の夜です。
とにかく、みんなとおしゃべりを楽しみました。僕はそんなにフランス語は上手ではありませんが、この際、上手い下手は関係ありません。とにかく思うままにしゃべり続けました。そして笑い続けました。

いつの間にか11時を過ぎていました。乾杯してからすでに3時間を超えていたのです。いよいよデザートが出てきました。そしてコーヒーがサービスされランスブルグの忘年会も終盤かと思ったのですが、とんでもありません。
更にお酒が運ばれてきます。食後酒の時間です。

そして、運ばれてきたお酒は…

なんと「KRUG(クリュッグ)」のヴィンテージ。(年代物)
そうです。シャンパンが運ばれてきたのです。しかもフランス最高級のシャンパンです。
これには驚きました。
普通はブランデーやカルバドスなどのアルコールの強いお酒を食後酒として楽しむのです。

まだ、終わりません。
次は年代物の赤ワイン、「シャトー・ラフィット・ロートシルト」
ボルドーの一級ワインです。年代は忘れましたがかなり古いものでした。

食後酒として年代物のシャンパンや赤ワインを楽しむなんて聞いたこともなかったのです。

シェフ曰く
「食後にコニャックやアルマニャックもいいけど、やっぱり上質のシャンパンやワインが最高だろ」
との事でした。

こんな楽しみ方もいいなぁと感心していましたが、僕はすでにかなり酔っ払っていました。
わいわいガヤガヤと忘年会は楽しく進み、そろそろ終わりに近づいた頃、シェフ、クレイン氏が僕に1冊の本を渡しました。

「トモ、この本を読みなさい。」

この本は当時アルザスに3件ある3ツ星のレストランのうちの一つ「ビュルイーゼル」の本でした。ランスブルグはこの時2ツ星でしたが、この時クレイン氏は「近いうちに3ツ星を必ずとる」と僕に言いました。(1年後、ランスブルグは本当に3ツ星を取りました。)

僕はその時、クレイン氏に「僕も負けません」と言ったのを覚えています。
酔っ払っていたので気が大きくなっていたのでしょう。

忘年会が終わりレストランを出たときには朝の4時でした。

つづく

*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
[PR]
by le-tomo | 2007-01-12 22:01 | 僕の料理人の道 51~60章
line

オーナーシェフとしてのいろいろ。


by le-tomo
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite