料理人の休日

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~ 第38章 仕切りなおし ~  <僕の料理人の道>

さて、楽しかったブドウ畑を散策するプチ旅行も終わりパリに来ました。
そういえば、初めて乗った飛行機で初めてきた外国であるフランスの首都パリを1年もフランスにいながら歩いたことすらありませんでした。あの時はなんとか目的地行かなければと頭の中が一杯で地下鉄から地下鉄へと乗り継ぎ、地上を見た記憶すらありませんでした。

パリに着いたのはお昼過ぎ。思っていた以上にパリは寒く軽装の僕には身にしみる寒さでした。
凱旋門をみて、シャンゼリゼ通りを歩く。「世界の散歩道」といわれるシャンゼリゼ通りはあまりにも大きすぎてどこからどこまでなのか分かりませんでした。

あっという間に真っ暗になり近くのビストロで「プラ・ド・ジュール」と書かれた日替わりであろう定食を食べました。「プラ・ド・ジュール」とは本日の料理という意味ですがその日は「フリカッセ・ド・プーレ」(鶏のクリーム煮)でした。グラスのワインとサラダが付いて80フラン(約1600円)。

7時には真っ暗になるフランスの冬。街灯が少なく、薄暗いパリの夜道を1人で歩くのは結構怖いものです。さっさとお昼のうちに見つけてチェックインしておいた安ホテルに戻りましたがこのホテル、安いだけのことはあり、トイレもシャワーも共同のぼんぼろホテルです。一泊100フラン(約2,000円)と安さにつられて泊まったのはいいのですが夜、電球が一個しかない暗い廊下をわたってトイレに行くのは命がけのような思いでした。当然、シャワーを使う勇気は僕にはありませんでした。

朝、早くチェックアウトしてシャルル・ド・ゴールへ向かい「また、戻ってくるんだ」と自分に強く言い聞かせ日本行きの便に乗り込みました。昨日の安ホテルでは安心してぐっすり眠れなかったので、飛行機にのって1時間もすると僕は深く眠りについていました。機内食が運ばれる度に起こされましたが、あっという間に日本に着きました。

「関西国際空港」

まだ、真新しいこの空港にはフランスへ出発したときに一度来ただけですが懐かしさを感じました。多分、空港が懐かしかったのではなく日本が懐かしかったのでしょうが、今でも空港に行くと懐かしさを感じます。

当たり前ですがすでに周りは日本語。話すということがこんなにも楽なことなのかと思いました。たった一年なのにずいぶん長いこと日本を離れていたような不思議な感覚です。

今までも大阪から福井へ帰った時、箱根から福井へ帰った時、それぞれ懐かしさは感じましたが、今回はそんな懐かしさとはちょっと違うものでした。やはり遠く文化の違う海外から久しぶりに帰ってきたので懐かしさの度合いが違ったのでしょうか。なんだかちょっと心地いい気分でした。とりあえず、実家に帰って仕切りなおしです。しなければならないことがたくさんあります。


僕は絶対にあきらめません。

再び美食の国フランスの地を踏むために....


つづく。


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2006-05-30 00:13 | 僕の料理人の道 31~40章

~ 第37章 オスピス・ド・ボーヌ ~  <僕の料理人の道>

c0007246_203276.jpgパリに向かう途中、せっかくなので葡萄畑を見ていこうとブルゴーニュ地方をちょっと旅することにしました。リヨン、ボーヌ、ディジョンと主要都市に立ち止まり、その周りの葡萄畑を散歩する程度でしたが、今まで料理のことばっかり考えていたので目の前に広がる広大な葡萄畑に改めてフランスの文化を感じました。

「あの素晴らしいワインはここから造られるんだ。」

季節は冬だったので葡萄の木には葉っぱが一枚も付いていませんでしたが奇麗に並んでいる葡萄の木を見て彼らワインの造り手の人たちがどれほど葡萄の木を大切にしているかが分かります。背丈もみんな同じ高さに切り揃えてあり土も丁寧に耕されています。

ブルゴーニュ地方のワインの産地はコート・ドール(黄金の丘)と呼ばれ、そのワインの中心地ボーヌにはオスピス・ド・ボーヌという慈善養護病院があります。中世に立てられたこの病院は醸造家の人々がワインを寄進し、そのワインを競売にかけて運営しています。ワインで病院を運営するとは、なんてフランスらしいのでしょう。別名を「オテル・デュー」と言います。

このオスピス・ド・ボーヌを目の前にしたとき、思わず身震いしました。色鮮やかな屋根を持つこの建物は病院というより修道院とか教会といった雰囲気を持ち、圧倒的な存在感がありました。この建物に魅了されてしまった僕はしばらくそこから動けず気が遠くなる感じに襲われたのです。医療技術が未熟な中世では完治して退院していった人よりもこの病院で死を迎えた人のほうが多かったことでしょう。

このオスピス・ド・ボーヌの屋根の模様が脳裏に焼きついて離れないまま、城壁に囲まれた街、ボーヌを一人でぶらぶら歩いていると小さなワイン雑貨店のショーウィンドーの向こうにさっき見た模様が小さく見えました。吸い寄せられるように店内に入りさっきの模様を探し出すとそれはラギオール社のソムリエナイフ(ソムリエがワインを開けるときに使うコークスクリューの付いたナイフ)でした。
そのソムリエナイフを手にとってみると手に吸い付くような感触でした。
僕は料理人なのでソムリエナイフはあまり必要ではないのですがソムリエである弟に是非これをプレゼントして使ってもらおうと決めました。このラギオールのソムリエナイフは日本だと2~3万円はします。いくらだったか忘れてしまいましたが半分位の値段で買えたと思います。それでも僕にとっては全く予定外で高価な買い物でしたが全然後悔などしませんでした。それほど魅力的だったのです。思わず、近くの公衆電話から日本にいる弟へ国際電話をし、オスピス・ド・ボーヌの柄のソムリエナイフをお土産に買ったことを伝えたくらいです。

その後、世界一高価なロマネ・コンティ(ワインの名前)の畑を見て一人で興奮して溝に足を突っ込んだり、ジュヴレイ・シャンベルタン村からフィサン村まで歩いているうちに暗くなってしまい道に迷ってしまったりといろいろありましたが楽しい旅になりました。

今、自分の置かれている状況をすっかり忘れて…。


つづく

*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。

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by le-tomo | 2006-05-22 20:04 | 僕の料理人の道 31~40章

皆さん、どんなことを知りたいですか?

いつも僕のブログを読んでいただいてありがとうございます。毎日たくさんの人が僕のブログに訪れてくれているのをレポートで確認するのが楽しみです。

おかげさまで「僕の料理人の道」は第36章まで書くことが出来ました。今後も書き続けますのでよろしくお願いします。

さて、僕はこれからどんなことを皆さんにお伝えできるのか?
今、そんなことを考えています。

そこで皆さんは僕にどんなことが聞きたいのか、どんな情報が皆さんに役に立つのか、意見をお聞きしたいと思います。

もちろん、僕は料理人ですので料理のことくらいでしか皆さんのお役に立てないでしょうけど。

コメント欄でもメールでも構いませんのでご意見お待ちしています。
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by le-tomo | 2006-05-15 22:10 | その他いろいろ...

~第36章 ミストラル~  <僕の料理人の道>

車の中でオーナー夫妻とおしゃべりをしているうちに楽しい気分になってきていつの間にか自分の置かれている状況を忘れてしまいました。あっという間にレストランに着くと玄関にはオーナーの愛犬“イケム”が寝そべっていて僕を迎えてくれました。この日はレストランが休みの日で厨房は真っ暗でした。

玄関に入るとオーナーは僕に「トモの部屋はまだそのままだからいつものように使っていいよ。」と言ってくれ「おやすみなさい。」を言って2階へ上がりその日はそのまま深い眠りに入りました。夜の12時を過ぎていました。

翌朝、目が覚め、顔を洗い、1階に下りて行くともうみんな厨房で働いていました。

「ボンジュール」

僕の一声でみんな手を止めました。どうやらオーナーは僕が帰ってきていることを知らせていなかったようです。

「おぉぉっ!どうしたんだよ、トモ。もう、くじけて帰ってきたのか?早く着替えろよ、忙しいんだから。」

シェフのマックがニヤニヤして近寄ってきました。仕事の手を休めてみんなが声をかけてくれるのをうれしく思いましたがそこそこで振り切ってオーナーを探しにサロンへ向かいました。椅子に座って本を読んでるマダムを見つけ、彼女にこの先僕がすべきことを相談をするとマダムはオーベルジュ・ド・ラトルへ電話をしてくれ詳しい事情を聞いてくれました。再びあのレストランで働くのは結構難しいことのようでした。一度、日本へ帰って大使館へ申請しなければならない書類があるらしいのですが通るかどうかわからないし何ヶ月も待たされるかも知れないとのことです。

「どうする、トモ?しばらくこのままここにいてもいいのよ。」

この言葉に甘えたい気持ちでいっぱいでした。昨日までは、またここでしばらくお世話になろうと思っていました。でも、いつまでも甘えてばかりじゃ前に進まないような気がして僕は一度日本へ帰る決心をしました。微かなチャンスにかけてみようと思ったのです。

まかないの時間がやってきました。久々にここの仲間とまかないを食べながら向こうであったことをみんなに話し日本へ一度帰ることも話しました。

「ほんとに帰るのか?ここにいろよ。」「また、一緒に働こうぜ、トモ。」「いつでも待っているからな。」

こんなうれしい言葉を聴きながら僕は1週間後パリのシャルル・ド・ゴール空港に向かうことにしました。寒い真冬の真っ只中のはずでしたが、ここプロヴァンスはそれほど寒くはありませんでした。唯一、ミストラルと呼ばれるプロヴァンス地方特有の強い風が寒さを感じさせる程度でした。

このミストラルは僕にとって追い風なのか向かい風なのか、そんなことを考えながら再びプロヴァンスをあとにしました。



つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2006-05-09 07:18 | 僕の料理人の道 31~40章

~第35章 マダムのサンドウィッチ~  <僕の料理人の道>

5時間ほど電車に揺られながら僕は今後のことを考えていました。
“とりあえず、またマス・ド・キュル・ブルス”にお世話になってレストランを探そうか。“
“いや、サラモラシェフは僕を呼び戻すって言ってくれていた。それに賭けてみようか。一度日本に帰って仕切りなおそう。”

今、日本に帰ったら戻ってこれないような気もして不安でしたがもう一度、オーベルジュ・ド・ラトルで働きたいという気持ちも強く5時間かけて悩んだ末、結論は出ませんでした。

アヴィニヨン駅に着いた頃は初めてフランスへ来たときと同じく真っ暗でした。夜の11時を回っていました。電車から降りて改札を出るとオーナー夫妻が迎えに来てくれていました。僕を見つけるとムッシュ・ポマレードが先に僕の目の前まで駆け寄ってきて僕の肩を抱いて自分の方へ引き寄せました。

「ボンソワー、お帰りトモ。」

彼は僕より背が小さいので僕はかがむような姿勢で「メルシー、ムッシュー。」(ありがとう。)と返しました。「ただいま」と言うべきなのでしょうが「ただいま」という言葉が出てきませんでした。

マダムも笑顔で迎えてくれ彼らの温かさに感動し“このまま、彼らにもうしばらくお世話になって一からレストラン探しをしよう。”

この時、そう思いました。
荷物をトランクに入れ、僕は車の後部座席に座り、窓から見える景色を眺めました。ゆっくり走る車の中から見える景色に懐かしさを感じながら、さっきまでの不安は車のスピードと同じ速さでゆっくりと薄れていきました。

マダムが、僕がお腹を空かしてるんじゃないかとサンドウィッチを持ってきてくれていて、助手席から後ろにいる僕に手渡しました。

「ヴォアラ(どうぞ)、トモ。私のスペシャリテよ。」

レストランで余ったパンにチーズとハムが挟んであるだけの簡単なサンドウィッチで、マダムが僕を迎えに出てくる前に慌てて作った感じでした。僕はお腹が空いていることを忘れていたのですが、サンドウィッチを見ると急にお腹が空き、マダムから手渡されたサンドウィッチがたまらなくご馳走に思えました。普段料理をほとんど作らない不器用なマダムが切れない包丁でギザギザにパンを切り、ハムやチーズを大ざっぱにカットしてパンからはみ出ている不恰好なこのサンドウィッチが今の僕には最高に美味しくに感じました。
このとき僕は思いました。

“料理は作る人が食べさせる人のことを思いながら作ったとき最高に美味しくなるんだ。”

僕はフランスに料理の修業に来ています。このとき、調理技術以外のガストロノミー(美食学)を学んだような気がしました。


つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2006-05-04 00:22 | 僕の料理人の道 31~40章
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エルブランシュ(麻布十番)のオーナーシェフ


by le-tomo
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