料理人の休日

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~第34章 帰ってらっしゃい~  <僕の料理人の道>

マダムの運転する車で駅に向う途中、彼女は気を使って僕を励ましてくれていたのですが全く耳に入らず、駅に着いてからどうしようかということばかり考えていました。ここ、キャレ・レ・トンベ村のある真冬の山は僕の今の心境を表すかのように寂しく、色あせた景色に見えました。

山のふもとに差し掛かり、少しずつ増えてくる建物の数が、駅が近づいてくることを感じさせました。
“数ヶ月前はこの道を期待に胸膨らませ上ってきたんだよなぁ。”
あの時と同じく隣でハンドルを握っているのは色白で美人のマダムでした。

みんなに突然のさよならを言ってから1時間ちょっと経ったでしょうか。僕を乗せた車は小さな駅に着きました。“こんなに小さかったっけ。”小さくなっている筈はありませんが思っていたより小さく感じました。
車を降りてスーツケースを下ろして駅の前に呆然と立ちすくんでいるとマダムが僕に封筒を手渡しました。

「ごめんね。これだけしか出来なくて。」

封筒を開けると500フランが5枚入っていました。そしてマダムは切符売り場へ行って一枚の切符を買い、

「30分後にディジョン行きの電車が来るからそれに乗ってディジョン駅で乗り換えてパリに行くのよ。」

と言って、僕にパリ行きの切符を手渡しました。僕は「ありがとうございました。」と言ってマダムと握手をし、マダムを見送って駅の待合室に腰を降ろしました。

“さて、どうしよう。パリに行っても何も当てが無い。どこかホテルを探して明日になったら飛行機のチケットを買ってすぐに日本に帰ろうか。でも、何処で飛行機のチケットが買えるんだ?”

当ても無く途方にくれていたとき、慌てて仕舞ったスーツケースから衣類がはみ出しているのに気づき一度スーツケースを開けることにしました。ベンチの上でスーツケースを空け、雑に畳んだシャツやズボンを畳みなおしました。すると一枚の紙が真ん中のポケットに入っているのを見つけました。この紙は、僕がこのレストランに来た翌日にレストランに届いたFAXです。ここへ来る前に働いていたプロヴァンスのレストラン「マス・ド・キュル・ブルス」のみんなが送ってくれたもので一人一言ずつ書いてある寄せ書きのようなものです。

その寄せ書きを読み返し、気づいたのです。“僕には当てがある。”

駅にある公衆電話の受話器を取りマス・ド・キュル・ブルスに電話をしました。電話に出たのはオーナーのマダム・ポマレードでした。事情を話すとマダム・ポマレードは「すぐに帰ってらっしゃい。」と言ってくれました。「帰ってらっしゃい」の言葉に僕は胸を打たれ、安心したのか涙がでました。


つづく

*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2006-04-28 22:47 | 僕の料理人の道 31~40章

~第33章 オー・ルヴォワール~  <僕の料理人の道>

このレストランにも慣れてきて仕事が楽しくなってきた頃のことです。

ロティスリーで毎日スー・シェフ(2番手)と一緒に主に肉を焼くことと、肉料理の付けあわせを用意することが僕の仕事でした。いつものようにランチタイムを終えみんなとまかないを食べながら次の休みに「ラ・コート・ドールへ食事に行こう」という話しになりました。ラ・コート・ドールとはこの先、20Km程行ったところにある3ツ星レストランで“水の魔術師”と歌われて名高いベルナール・ロワゾー氏がオーナーシェフの素晴らしいレストランです。ここに来てから今までどこにも行かず、ただアパートとレストランの往復だけだったのでラ・コート・ドールへみんなで食事に行くことは僕にはとても楽しみでした。

そんな無駄話をしながらまかないを食べ終えみんなと一緒に騒いでいた時、シェフが来て僕を呼び出しました。なにやら深刻そうでした。

シェフに連れられシェフルームに入ると男性が一人座っていました。スーツをきちんと着こなした40歳前後のスマートな男性です。その男性の目の前の椅子に座るよう言われ訳が分からずゆっくりと腰を降ろすとシェフが僕にこう言いました。

「トモ、すまない。このまま、トモをここへ置いておくわけにはいかなくなった。」

シェフが何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。続けて立ったまま彼は座っている男性を僕に紹介しました。彼は弁護士とのこと。弁護士と聞いて僕は驚きましたが驚いている僕の事はおかまいなしに弁護士は早口で事情の説明をし始めました。僕の知らない単語を早口で並べられ、僕が戸惑っている姿を見かねたシェフがいつもの優しい声で話しかけました。

「トモ、きっと呼び戻すから、一度日本へ帰って待っていてくれ。」

僕はその時、“僕はもう、ここには居れないんだ”ということがようやく分かったのです。
シェフルームから出るとその足でシェフに連れられ外に止まっている車へと連れて行かれました。運転席にはマダム(シェフの奥さん)が座っていました。

まかないを終え休憩していたコック仲間が何か起こったのかとレストランから出てきてそのうちの一人が叫びました。

「トモ、何処へ行くんだよ!」

僕はどう答えて言いか分からず下を向いたままだったのですがシェフが僕の代わりに答えてくれました。

「トモは日本に帰るんだよ。でも、また戻ってくるから。」

僕は車に乗り込みドアを閉める前になんとか一言声に出してみんなに言いました。

「オー・ルヴォワール」(さようなら)

僕はもう、ここへは戻ってこれない気がしたのです。
今度の休みにみんなと一緒にラ・コート・ドールへ食事に行く約束は果たせそうにありませんでした。

汚れたコックコートを着たままマダムの運転する車に乗って荷物を取りにアパートに向かったのです。荷物をまとめたら近くの駅まで送ってもらう予定でした。その時まだ僕の頭の中は整理できていませんでした。

一体、これからどうすればいいんだろう...。


つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2006-04-26 20:57 | 僕の料理人の道 31~40章

~第32章 片目のモロッコ人~  <僕の料理人の道>

ルームメイトのモロッコ人は片目でした。

彼は同じ外人の僕に親近感を持ったのか部屋に帰るとビールを持ってやってきました。とても優しそうで話しやすい人です。彼はモロッコから8年前にフランスへ来て数年前からこのレストランで働いているとのこと。結婚もしていて奥さんも子供もいるらしい。でも奥さんはモロッコで子供と一緒に暮らしているようです。

「なぜ、一人でフランスへ?奥さんと子供は連れてこないの?」

僕の素朴な質問に彼は、“出来ればそうしてるよ。”といった感じで答えました。

「いつか、家族一緒に暮らす為に俺は今フランスで頑張って稼いでいるんだ。俺の家は貧しいから出稼ぎをして仕送りをしないと生きていけない。もう少し頑張れば妻も子供もフランスへ呼べる。あと、少しなんだ。」

貧しい国の人が出稼ぎをして国に残してきた家族に仕送りをする、いつか家族と一緒に暮らすために…。

聞いたことはあるけどそんな人が実際に目の前にいる。このフランスへ、生きる為に来ている彼と料理の修業に来ている僕とでは気迫が違う。

彼は優しい口調で話していましたがその言葉には力強い生命力を感じました。
彼の片目はフランスへ来た最初の頃、職場のフランス人にいじめられて失ったそうです。それでも彼は国に帰らず家族を守る為に、生きていく為にフランスに残りました。そして今、ここで皿洗いをしています。彼は、サラモラ氏(このレストランのオーナーシェフ)が俺を拾ってくれた、とシェフにとても感謝していました。
彼は、こんな事情があるなんてとても信じられないくらい明るく、片目を奪ったフランス人を憎むことなく生きています。毎日、全力で皿洗いをしています。

僕がなぜフランスへ来たかなんてとても彼に話せるようなスケールではないなと、このとき完全に気迫負けしていました。それでも聞かれたので細々と話してみると彼は、「頑張れよ。きっといいシェフになれるよ。」と励ましてくれました。

彼の“頑張れよ”という言葉は僕にとって重く深く心に響きました。



つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2006-04-19 23:32 | 僕の料理人の道 31~40章

~第31章 賄いはトリュフオムレツ~  <僕の料理人の道>

朝、厨房に入ると2番手らしきコックが僕に話しかけてきました。彼はみんなに僕を紹介すると今日からひとまずパティスリー(デザート部門)に2週間入るように言いました。

“パティスリーに2週間?まずはパティシエかぁ。デザートも大事だよな。”
デザートを作るのは嫌いではなかったので喜んでパティスリーに行きました。まぁ、修行中の身で好きとか嫌いなんて言える立場じゃないんですが。

早速、パティスリーに行き指示に従い仕事を始めました。パティシエは3人いて僕が入ったので4人になりました。この規模の割にはパティシエが多いほうです。4人もいて(僕はこの時はまだ戦力外でしょうが)無茶苦茶忙しいのです。仕事が終わりデザートメニューを見せてもらいびっくり!
デザートが20種類以上あって、その他、アイス・シャーベット類が10種類以上あるのです。

“これじゃあ、忙しいはずだよな。”

おかげで目一杯デザートの勉強をさせてもらいました。

2週間後、次はポワソニエ(魚料理)のセクションに移りました。でも、このセクションは短く1週間程度でロティスリー(肉料理)のセクションに移ったのです。この時期はジビエ(狩猟野鳥獣)の盛んな季節でしたので毎日、いろんなジビエが入ってきました。そして毎日、野生の茸も10種類以上ありました。

特に茸料理はシェフのスペシャリテで野生の茸を全部種類ごと別々に火を入れるといった手の込みようでした。簡単に見える茸のソテーも実は全部別々に火入れをしているのです。しかも、野生の茸を自分たちで山へ採りに行くのです。茸を採りに行く日は朝5時起きでした。秋も深くなってきた山の中は震えるくらい寒く、霧深かったことを覚えています。

この時期、もうひとつの魅力的な食材と言えばトリュフ。もちろん、ここにもたくさんの黒トリュフが届きます。みんな早速、トリュフと卵を一緒に容器にいれ、トリュフの香りが卵に移った頃にオムレツを作りまかないでこの高貴な香りを楽しみました。

もちろん、トリュフは入っていませんでした...。


つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2006-04-17 00:45 | 僕の料理人の道 31~40章

~第30章 オーベルジュ・ド・ラトル~  <僕の料理人の道>

アヴィニヨン駅でマダム・ポマレードと別れを告げ新しい修行先のヨンヌ県へ向う電車に乗り込みました。内心不安もありましたがフランスへ初めてきた8ヶ月前よりは随分余裕がありました。到着までは5時間くらいかかったような気がします。前の日は朝方までみんなと飲んでいたので電車が出発してから10分も経たないうちに眠ってしまいました。

今度の修行先はヨンヌ県のキャレレトンベ村にあるミシュラン一つ星のレストラン、“オーベルジュ・ド・ラトル”というレストランです。駅に到着すると一人の女性が僕を迎えに来ていてくれました。彼女はすぐに僕を見つけ車に乗せ走り出しました。彼女はシェフの奥さんだということは最初の挨拶ですぐに分かりました。僕を乗せた車はどんどん山の中へ入っていきます。“本当にこんなところにレストランがあるのか”と心配になるくらいです。そして4~50分走らせたところでようやく一軒の建物が見えてきたのです。これが今度の修行先“オーベルジュ・ド・ラトル”です。

レストランに着くとちょうどランチタイムが終わったところでみんな休憩に入る準備をしていました。シェフが出てきて挨拶をするとウェイティングルームのようなところに座らされシェフと一緒に少し話をしました。どうやらここのシェフは外国人を雇うのは僕が初めてらしいのです。

30分くらい話をしたでしょうか、シェフはスタッフの一人を呼んで僕を寮に連れて行くよう指示し、彼について僕はこれから寝泊りをするアパートへ向いました。アパートに着くとルームメイトが2人いて一人はソムリエ、一人は洗い場のモロッコ人でした。

早速荷物を置き、ちょっとホッとしたところでルームメイトの2人が僕の部屋に来ていろんなことを聞かれました。初めて見る日本人が珍しかったのでしょう。

ディナーが始まるということでソムリエが僕を一緒にレストランまで連れて行ってくれました。すでに厨房では仕込みが始まっていましたがこの日はただ見ているだけでした。流石に星が付いているせいかスタッフが前に働いていたところの倍くらいいます。調理場だけで12~3人はいたでしょう。それでも客席がほぼ満席になるこのレストランの厨房はめまぐるしく忙しそうです。

“こんな田舎なのにどうしてこんなにたくさんのお客さんがくるのだろう”

プロヴァンスにいたときも田舎でしたが自転車で10分も走れば駅のある町にでました。でも、ここは到底町など近くになさそうな山の中です。フランス人とは美味しいものを食べる為なら労力を惜しまないのでしょうか。驚きました。

そして、初日があっという間に終わり後片付けを始めた頃、シェフが僕に寄ってきて「俺は茸料理がスペシャリテなんだ。ここには素晴らしい野生の茸がたくさんある。この時期に来て良かったな。」と、自分の得意料理の話をしました。秋は野生の茸がたくさん出回ってジビエの美味しい季節なのです。

明日からはどのセクションで働かせてもらえるのだろうか。ワクワクします。


つづく

「オーベルジュ・ド・ラトル」

*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2006-04-09 23:49 | 僕の料理人の道 21~30章

~第29章 ボンクラージュ~  <僕の料理人の道>

フランスへ来て最初の修行先のレストラン最後の日…。

いつものように朝、厨房に入り、いつもと変わらない仕込を始める。ただ、今日でこのレストラン最後の日。みんなといつものように挨拶をするがなんとなく僕は気合が入ります。

辞めることが決まってからシェフの横でストーブ前に立ち主に肉を焼いたりソースを仕込んだりするのが僕の仕事になっていました。オードブルのセクションとは違い営業が始まってからが勝負のポジション。一日多いときだと100人のお客様が来るこのレストランでのストーブ前はオードブルのセクションより正確でスピーディな仕事が要求されました。京都にいたときもストーブ前は経験していましたがお客様の数が違いました。そしてフランス人のシェフから食材の火入れ、ソースに対する考え方を間近で体感しながら学ぶことが出来ました。

僕はここで基本となるフランス人の考え方を学びました。このレストランは星なんて一つも付いていませんでしたが僕にとっては料理人にとしての大きな第一歩を踏み出す場となったことに違いません。今でもかけがえの無いレストランです。

仕事ももう終わりに近づき後片付けを始めた頃、いつもはアプランティがごみを捨てに行くのですがシェフから「トモ、悪いがゴミを捨ててきてくれ。」と頼まれました。もちろん、断る理由も無く「分かりました。」と返事をし、ごみをまとめ敷地内にあるごみ捨て場まで台車にごみを乗せ向かいました。厨房からごみ捨て場に行くにはプールサイドを通っていかなければなりませんでした。

プールサイドの横を通り過ぎようとしたときです。脇にある草むらからなにやらゴソゴソと音がしました。振り向くとその瞬間5人くらいの人が出てきて僕を捕まえ持ち上げたのです。
何がなんだか分からず僕はびっくりしました。そして体が宙に浮いているとき僕を持ち上げているのはシェフをはじめ一緒に働いていた料理人だということが白いコックコートを見て分かりました。

と、次の瞬間

“バッシャーン”

という水しぶきと共に僕はプールに放り投げられていました。
一度プールの底に沈んだあと水面から顔を出すと

「ボンクラージュ、トモ!」(頑張ってこいよ、トモ!)

とみんなの声が聞こえました。
シェフがプールから顔を出したまま唖然としている僕に手を差し伸べ引き上げました。水浸しのまま厨房に戻るとオーナーをはじめ全スタッフが僕を笑いながら迎えてくれました。

「これがフランス流よ。」

と、マダム・ポマレードが僕に言いました。

とりあえず着替えてきてみんなの待つ厨房に向かうと僕の送迎会を開いてくれるということでバーに向かいました。シャンパンで乾杯をした後は朝までみんなでおしゃべりをしたのです。僕はまだ、フランス語が堪能ではありませんでしたが少しは話せるようになっていたのでとても楽しい時間でした。

翌朝、寝不足でしたが清々しい気分で起きてここ“マス・ド・キュル・ブルス”を旅立ちました。駅までマダム・ポマレードが送ってくれました。この日はマス・ド・キュル・ブルスのレストランは定休日でした。


つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2006-04-05 01:24 | 僕の料理人の道 21~30章
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エルブランシュ(麻布十番)のオーナーシェフ


by le-tomo
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