料理人の休日

ryorinin.exblog.jp ブログトップ

<   2006年 01月 ( 8 )   > この月の画像一覧

~第23章 上の歯と下の歯~  <僕の料理人の道>

ちょっと修行の話からそれますが...、ある日のことです。奥歯がずきずき痛むのを感じました。

“やばいなぁ。虫歯かな。保険も入ってないし歯医者なんていけないよなぁ。”
とにかく歯を丁寧に磨いてごまかそうとしましたがどんどん痛くなってきます。
最初のうちは持ってきた痛み止めを飲んで耐えたのですがとうとう我慢できず休みの日に歯医者に行くことを決意しました。オーナーにこのことを相談して近所の歯医者を紹介してもらったのですが正直とても不安だったのです。“保険に入っていない僕のような外国人は一体いくら治療費を取られるのだろう、言葉が分からないのに症状がうまく伝わるだろうか…。”

でも、歯の痛みは我慢できず思い切って辞書片手に歯医者へ向いました。病院らしくない石造りの建物の歯科医院にちょっと驚きましたが、辺りを見回せば全部石造りの建物だらけで、日本のように近代的なビルはひとつもなかったので当然の景色として違和感なく建っていました。

玄関を入ると女医さんが出てきて待ち時間もなくすんなり案内されました。彼女が先生でアシスタントは一人もいない様子。壁一面には子供の書いた先生の似顔絵や子供向けのポスターが張ってあります。多分、女性の先生なので優しく、子供たちから慕われているのでしょう。僕はもういい大人でしたが、なぜかその雰囲気にほっとしました。

こんな時は最新の機材がずらりと並べてある機械的でスタイリッシュな施設よりも先生の優しい笑顔と柔らかい雰囲気が不安を和らげてくれました。

さて、いよいよ治療台に座って治療に入ります。まず、僕は右の奥の下の歯が痛いということを伝え、口を開けました。しばらく先生が診察をして「上の歯を治します。」みたいなことを言ったのです。
“えっ!下の歯だって言っているのに。もしかして上の歯も虫歯があるのか?”
先生は更に「下の歯は治さない。」みたいなことを言っているのです。
“どうしよう、痛いのは下の歯なのに。”
不安は一つ的中しました。うまく症状を伝えられません。
困りました。先生はなにやら理由を説明してくれいるのですがさっぱり分かりません。

“しょうがない。先生に任せるしかないな。”
観念するしかないと思ったその時、突然先生は誰かに電話をしたのです。相手が出てしばらく話をした後、僕に受話器を渡したのです。

“えっ、どうしよう。”
フランス語が話せないのに受話器を渡されても困ります、が受け取ってしまいました。
とりあえず、「ボンジュール」と挨拶。
すると、「こんにちは。」という女性の声で返ってきました。

“えっ、こんにちは…?日本語?”


つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
[PR]
by le-tomo | 2006-01-25 19:33 | 僕の料理人の道 21~30章

~第22章 アミューズブーシュ~  <僕の料理人の道>

“覚悟”をするというのは勇気のいることでした。

やっと叶ったフランスでの修行のチャンスを、ちょっと不安になったからといって、ちょっと辛いからといって簡単に棒に振るわけにはいきません。でも、これから先、自分の弱さに負けてこのチャンスを自ら捨てるときが来るかもしれない。それがとても怖かったのです。だから、僕は帰りのチケットを破り捨てました。自分を追い詰めることで“何がなんでもこのチャンスを生かして一流の料理人になりたい”という気持ちを貫き通すことにしたのです。

そして、覚悟をして挑んだディナー営業。覚悟をしたからといってすぐに何か出来るわけがありませんが気持ちを強く持つことで周りが見えてきました。僕は必死でした。分からないことはどんどん聞きました。

そうして覚悟してからの日々は比較的仕事も順調に覚えていき、1週間もたった頃にはオーダーを聞き取れるようになりスムーズにみんなの仕事の流れに乗れるようになっていました。
まぁ、毎日同じメニューを繰り返していたので当たり前と言えば当たり前なのでしょうが1週間前の自分とは明らかに違っていました。

ある日、シェフが定期的に変えるアミューズブーシュ(食事の前に出す突き出しのようなもの)を何にするか悩んでいました。そんなシェフに僕は自分に作らせてもらえないかとお願いしてみました。もちろん、僕のような外国人に任せるとは思っていませんでしたが、シェフは「そうか、じゃあ何か作って見せてみろ。」と言ったのです。僕はチャンスと思い、冷蔵庫にあるあまりもので一品作ってシェフに見せました。

シェフは難しそうな顔でそれを試食したあと、ちょっと考えて「いいだろう、来週これを出すから用意しておけ。」と言ってくれたのです。僕が今すぐに能力を発揮できるのはこれだ!と思いました。とりあえずアミューズブーシュを作り続けようと決めました。
それから、僕は毎日、違うものを作り続ける事にしたのです。毎日、毎日、違うアミューズブーシュを1日約100人前作り続けたのです。

そしていつの間にか僕はオードブルセクションのシェフを任され、オードブルまでもシェフと相談しながら考えるようになっていました。フランスに渡って3ヶ月が過ぎた頃だったでしょうか…。

最初僕の上司だった大男のクリストフと金髪のフロロンスはその頃から僕の部下になっていました。ただ、彼らの態度は変わらず結構大きかったのですが。

まぁ、フランス語を教えてもらっていたので仕方ありません。多少、態度がでかいのは許しましょう。



つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
[PR]
by le-tomo | 2006-01-23 23:00 | 僕の料理人の道 21~30章

友人からの手紙 (トピックス)

c0007246_315539.jpg

今日、フランス修行時代の友人から手紙が届きました。彼はパテシエでブルターニュでの修行時代に一緒に働いた仲間です。名前はディディエ。コンクールで何回も賞をとっている優秀なパティシエなのですが昔はよく言い争いをしつつも、いつもつるんでいたものです。この写真は彼(右から3番目の赤い襟)とあの有名なロブッション氏(彼の左)、そしてお世話になったシェフ、ジャック・ギヨー氏(ロブッション氏の左、スーツ姿)で手紙と一緒に同封されていました。シェフやディディエの元気な顔様子が写っていて嬉しくなりました。

彼はどんどん大きくなっています。彼も頑張っている、僕も頑張らなければ。
[PR]
by le-tomo | 2006-01-19 03:22 | その他いろいろ...

~第21章 覚悟~  <僕の料理人の道>

3日目、4日目…何かしなければという焦りからか失敗ばかり。僕のセクションの一つ一つの仕事は簡単な事ばかりなのに細かいニュアンスが分からなくて2度手間だったり無駄なことだったり、戦力どころか足を引っ張っているだけのような気がしてきました。まかない時や休憩時間、みんなが楽しそうに笑っている姿が僕には、言葉も仕事も出来ない日本人の僕をバカにしているように見え、逃げ出したい気持ちにすらなりました。

そして5日目…ランチ営業中、シェフから直接仕事が与えられました。ものすごく簡単な仕事で、バットの中に冷蔵庫にあるくず野菜を引いておけとのこと。早速とりかかりシェフの言葉の中にCourgette(ズッキーニ)と言う言葉があったので使いかけのズッキーニも混ぜてバットに引きシェフに持っていくとそれを見たシェフがいきなり怒鳴りだし僕の持っている野菜の入ったバットを床にたたき落としました。
僕は何を怒っているのか分からず頭の中が真っ白になっていました。

“何を間違えたんだ?確か冷蔵庫のくず野菜とズッキーニをこのバットに入れてこいと言われたはず。”

立ちすくんでいる僕にシェフは「帰れ!」と言い放って別のスタッフに再度同じ指示をしたのです。実際には帰れと言ったのかどうか分かりませんがそう聞こえたのです。言葉が分からなくてもこういうことは雰囲気でわかるものです。何が間違えていたのか分からず隅っこで同じ指示を受けた人の仕事を見ていると僕と同じようにバットにくず野菜を入れてシェフに持っていきました。そしてなんなくOKの返事。

“何が違うんだ。同じじゃないか!”

僕はただの“いじめか”とも思いました。すると、大男のクリストフが僕にそっと教えてくれました。
「シェフは、ズッキーニは水分が多いから混ぜるなって言ったんだよ。」
彼は僕に分かりやすく単語をつなぎ合わせて話してくれました。

部屋に戻りディナーの準備が始まるまでの時間、僕は悩みました。どうしたらいいかわからなくなってしまったのです。“言葉が分からないと無理だ。”

いつも前向きに…のはずだったのですがここ2,3日で早くも意志が揺らぎはじめました。川上のぶ先生に言われた「あなたはフランスへ行って修行する事がどんなに厳しいものか分かってるのですか?そんなあまいものじゃありませんよ。」という言葉が僕の胸を突き刺すように響いていました。日本に帰りたいという気持ちが強く悪魔のように襲いかかっていました。僕はくじけそうになっていたのです。

そんなとき、父の言葉を思い出しました。
以前、僕がオー・ミラドー時代にあまりの厳しさにくじけてしまい父に電話でオー・ミラドーを辞めたいと話した時、父は「いいよ、戻ってこい。」と意外にも簡単に許してくれたことです。そしてもう一つの父の言葉。

「その代わりにもう2度と包丁は持つなよ。」

ここで帰国しても人生が終わるわけではないのでしょうが、今帰国したらもう、本当に料理人に戻れないような気がしました。

“やるしかない”

そう、僕はやるしかないのです。ここでくじけるわけにはいかないのです。
そして、僕はトランクケースにしまってあった帰国用の日本行きのチケットを取り出し破り捨てました。何かあったら日本に帰れるようにとの先輩のアドバイスで1ヶ月オープンの往復チケットを買っていたのです。
これでもう、日本に帰国するには最低でもチケットを買える位のフランス語が出来ないといけません。それは1年後なのか2年後なのか分かりませんでしたが数ヶ月ではないということはなんとなく分かっていました。
チケットを破り捨てたのは、もしまた、こんな気持ちになった時、くじけてしまいそうな自分が嫌だったのです。これでもう、くじけられなくなりましたから…。

僕はフランスに修行に来たのです。そして自分を試しに来たのです。ここでくじけては日本であんなに厳しい修行をしてきたことが無駄になってしいます。

それが僕のフランスでの“覚悟”でした。


c0007246_133962.jpg




つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
[PR]
by le-tomo | 2006-01-18 01:32 | 僕の料理人の道 21~30章

~第20章 いつも前向きに~  <僕の料理人の道>

とりあえず、無事に初日が終わった。意外にすんなりみんなと仲良く出来そうだ。

そんな安心感をもったまま渡仏2日目、フランスでの修行1日目は終わりました。そしてベットに横たわるとすぐに熟睡していました。

2日目、調理場へ行くと昨日と同じく誰もいなくて、とりあえず昨日習った通りにオーブンに火をつけまな板をセットしてみんなを待つことにしました。始業時間は9時と聞いていたのですがみんなが来るのはだいたい9時10分過ぎ。こんなこと日本では許されないことです。まぁ、そんなこと僕が言えるはずもなく自分だけでもきっちり時間を守ろうと思い、10分以上前には調理場に入いることに決めました。当然、1番のりです。そしてみんながすぐに仕事が始められるようセッティングを終え、みんなを待つ。まずはそれから…。

言葉が分からない以上すぐには戦力にならなさそうだったので、そうやって出来ることから少しずつやっていくしかないと思ったのです。

みんながぞろぞろ到着し、今日も昨日と同じように仕事が始まりました。仕込みをしながら分からない単語はまな板の横にある辞書を引くのですが、綴りが分からないので誰かに引いてもらうしかありません。それも営業が始まるとみんな忙しくなり僕はほとんど構ってもらえなくなるのです。

“何か出来ることは…。”

気は焦るのですが飛び交うフランス語をほとんど拾えず、ただただ邪魔にだけはならないようにと気を付けるのみ。そして、昨日よりは随分長く感じた一日が終わり部屋に戻りました。
昨夜、やっていけそうだと思ったばかりなのに今日一日でまた不安が僕を襲いはじめました。
“今日一日の仕事の流れをもう一度復習して明日は少しでも戦力になるよう務めよう。”

“いつも前向きに。”

それが本場フランスでフランス人の中でたった一人、言葉の分からない日本人が修行するために必要な心構えでした。


つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
[PR]
by le-tomo | 2006-01-14 00:30 | 僕の料理人の道 11~20章

~第19章 仲間~  <僕の料理人の道>

美食の国フランスの厨房での初仕事が終わり時計を見ると時計の針は0時を少しまわっていました。掃除も終わったのであとはシャワーを浴びて寝るだけ…と思いきや金髪のアプランティ(見習い)、フロロンスからこっちに来いとの合図。
彼女は今のところ僕の直属の先輩。年は15~6才。そして僕の直属の先輩はもう一人、2m位の身長がある大男のクリストフ。彼も15~6才。僕の最初の上司は2人とも見習いでした。この時点で僕が名前を覚えているのはシェフのマックをあわせてこの3人だけ。

とりあえず僕は金髪フロロンスと大男ステファンについていきました。するとレストランのすぐ隣に小さなバーがあってそこでスタッフが全員集まってめいめい好きなところに座っていました。どうやらこれからお酒を飲むような雰囲気です。

僕をアヴィニヨン駅からここまで送ってきてくれた人はどうやらソムリエらしく彼は慣れた手つきでシャンパンを2~3本開けグラスに注ぐとみんなはそれを手にとりました。僕もシャンパンの入ったグラスを手渡されました。

そして、昨夜、玄関で僕を迎えてくれた夫婦のムッシュが手にしたグラスを高く持ち上げ

「ビアンヴニュ オー マス・ド・キュルブルス 、トモ!」(ようこそ、マス・ド・キュルブルスへ、トモ!)

と叫んだのです。一瞬何事か分かりませんでしたが、みんなの視線が僕に集中しているのと彼らの表情ですぐに僕の歓迎会なんだということをさっしました。

「メルシー・ボクー!」
ありきたりのフランス語でしか返せませんでしたが、とても嬉しくて感激しました。なんだか、もうフランス人に認められたような錯覚に陥りました。

かれこれ2時間ほどおしゃべりをして…とは言っても僕はおしゃべりが出来るはずもなくただニコニコと愛想笑いするだけでしたがこの雰囲気は心地よく退屈することなく歓迎会を終えることが出来ました。
“僕が主役なのになんだか悪かったなぁ。聞かれたこともほとんど分からなかった。”
フランス語が話せないのがもどかしく“みんなと話せるようになりたい”と心から思ったのです。

この歓迎会で僕はこのオーベルジュの事を少し知ることが出来ました。会話は出来ませんが分かる単語を必死につなぎ合わせてここのスタッフの人間関係を少し知ることが出来たのです。かなり自分勝手な推測もありましたが…。

まず、僕をアヴィニヨン駅からさらった…、いえ、連れてきてくれたボンボロシトロエンの運転手はソムリエのステファン、玄関で迎えてくれた夫婦はここのオーナーでポマレード夫妻、床に寝そべっている大きな黒い犬はオーナーの愛犬イケム。そして、この建物は200年前のものだそうです。

こうして美食の国フランスで最初の仲間が出来ました。


つづく

*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。

c0007246_217287.jpg

[PR]
by le-tomo | 2006-01-05 01:52 | 僕の料理人の道 11~20章

明けましておめでとうございます。

2005年、皆さんはどんな年でしたか?

僕はいろいろな人との出会いがあり充実した年でした。

そして2006年、皆さんはどんな年にしたいですか?

“飛躍”

ありきたりですが今年はいろんなことに挑戦して料理人として大きく一歩前に踏み出し“飛躍”する年にしたいと思っています。

ブログ「料理人の休日」をはじめて1年が経ちました。僕の修行時代の話もまだ半分...。

頑張って続きを書きますので皆さん今年もどうぞよろしくお願いいたします。

「料理人の休日」をご愛読していただいてくれている皆さん、よいお年を!

Bonne et heureuse annee 2006!
[PR]
by le-tomo | 2006-01-01 02:46 | その他いろいろ...

プロフィール

小川智寛(オガワトモヒロ)

昭和48年生まれ
福井県出身

株式会社エル・コーポレーション 代表取締役
株式会社マイナーリバーズ 代表取締役兼COO

***

料理人の父のもとに生まれ料理人を目指す為に、
箱根オーベルジュ・オーミラドーで修業を始める。
24歳で単身、フランスへ。
プロヴァンス「マス・キュル・ド・ブルス」
ブルゴーニュ「オーベルジュ・ド・ラトル」
アルザス「ランスブルグ」
ブルターニュ「オーベルジュ・グランメゾン」
カンヌ「ムーラン・ド・ムージャン」
など、星付きレストランや有名レストランで修行。
帰国と同時に、27歳で都内のフレンチレストランの料理長に就任。
6年間シェフを務め、独立。 



2007年 株式会社エル・コーポレーション設立(東京都港区)
代表取締役に就任

魔法のフォアグラ Aile Blanche -エルブランシュ-(麻布十番)
はじっこブラッスリー アジルジョーヌ・テラス(麻布十番)

2015年 株式会社 マイナーリバーズ設立(福井県坂井市)
代表取締役兼COOに就任
・福井活性化を目指し飲食事業を展開

フレンチデリ HALF MOON BAY(三国町)
デスティネーションレストラン LULL -ラル-(三国町)


[コンサルティング実績]
国内外のレストランコンサルティングも行う。

ラヴィス・ヴィラ・スウィート(埼玉)/老舗のおあげ屋、竹田のおあげ「谷口屋」/ザ・ハウス白金(東京)/シャトーウエディング・パトリックキソガーデン(東京)/TIRTHA BLIDAL(バリ島)/Lewin Terrace(シンガポール)/庭園のあるレストラン「ガーデンマジック」/リビングカフェsumu/フランス料理ジャルダン/(株)トリドール


*コンサルティングのご相談は t.ogawa@aileblanche.info までご連絡ください。




[PR]
by le-tomo | 2006-01-01 00:00 | プロフィール
line

オーナーシェフとしてのいろいろ。


by le-tomo
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite