料理人の休日

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カテゴリ:僕の料理人の道 31~40章( 10 )

~ 第40章 ランスブール ~  <僕の料理人の道>

間もなくして、フランスから返事が来ました。そして再びフランスへ行けることになったのです。
しかも、今度のレストランはアルザスにある「l’Ansbourg」(ランスブール)。ミシュラン2ツ星のレストランです。そして、今、アルザスでもっとも3ツ星に近いといわれている有名店です。

フランスで再び働けるだけでも幸運なのに有名店で働けるなんて夢のような気分でした。アルザス地方には是非行きたいと思っていたので願っても無いチャンスです。すぐに出発しなければならないので早速荷造りをして出発の準備を整えました。出発当日、前回と同じく関空に行きました。あの時と同じくらいわくわくしていました。不安は全くありません。

そしてシャルル・ド・ゴール空港に到着…

再びフランスの地を踏んだのです。
前回と同じく早朝でした。

早速、パリを経由してアルザスのストラスブールに向かいました。迷うことなくストラスブール駅に着くと青いワーゲンが僕を迎えに来てくれていました。僕をランスブールに紹介してくれた日本人の知人とのっぽのフランス人です。こののっぽのフランス人はミッシェルといい、このレストランのスー・シェフ(副料理長)です。彼はまだ29歳。ランスブールには9年も勤めているそうです。約1時間ほどの道のりですが恐ろしいほど山奥に入っていきました。ブルゴーニュのレストラン「オーベルジュ・ド・ラトル」も山の中でしたがここも負けてはいません。この日は、レストランの休日でした。ミッシェルは休日なのにわざわざ迎えに来てくれたのです。ただ、彼は口数が少なくあまり笑いませんでした。まじめな“ドイツ人”のような感じです。

彼はフランス人です。でもここアルザスは、隣はすぐにドイツです。言葉はドイツ語のようなアルザス語も使います。ここに生まれ育ったミッシェルはそのせいかドイツ人気質のような印象がありました。

ランスブールは僕が今までにフランスで働いた宿泊設備付の“オーベルジュ”ではなく一軒家のレストランでした。ただどこまでがこのレストランの土地か分かりませんでしたが広大な庭があり...、庭というか平原の中にレストランがあり、その平原には小川も流れていました。

そしてレストランの建物は堂々としていて風格があります。

「明日からここで働くのか。楽しみだな。」

部屋へ案内されて荷物を広げると、レストランの周りを散歩しました。周りには何にもありません。ただただひたすら山でした。日本人の知人に話を聞くとエピスリー(食料が売っているお店)と郵便局まで約5km。バス停までは10kmあるとのこと。これまた大変なところへきました。

フランスの地方にある有名レストランは大抵ランスブールのように辺鄙なところにあります。美食好きのフランス人は美味しいレストランがどこにあろうとわざわざやってくるのです。日本のような立地で悩むことなんぞありません。

さすが美食の国、フランスです。

ますますフランスが大好きになりました。

つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2006-06-06 00:58 | 僕の料理人の道 31~40章

~ 第39章 諦めない ~  <僕の料理人の道>

親にとっては迷惑な話ですが僕は実家にしばらく居候することにしました。そして必要な書類を集めるために最初の1ヶ月でいろんな人と会い、推薦状を書いてもらいました。肩書きのある人の推薦状が最低3枚必要だと言われていました。今までのコネを使って駆けずり回り何とか3枚の推薦状を手に入れることが出来たのです。そして、僕の作文も必要でした。「なんの為にフランスで働くのか」を書いて提出しなければなりません。
さて、やっと揃えた文章を今度はフランス語に法定翻訳してフランスのサラモラ氏に送りました。「D.D.T.E」と呼ばれるフランスの労働局に申請するらしいです。後は待つだけです。

申請が通るまで1ヶ月以上かかるとのことでとりあえずアルバイトをすることにしました。以前、アルバイトをしていたワインバーやイタリア料理店でお世話になりながら返事を待つのみ。

そして1ヶ月後、全然返事は来ません。
2ヵ月後、音沙汰なしです。「やっぱり駄目なのか?」
不安になり、フランスへ電話をしました。

「ボンジュール、ムッシューサラモラ。その後、どうでしょう?まだ時間がかかりそうですか?」
「トモ、元気か?実は…難しいらしんだ。D.D.T.Eからは何の返事も無いよ。すまない。」

“駄目だったのか”
“もう、フランスでは働けないのか”

ちょっと諦めかけていました。
「これから、どうしようか。フリーのコックになって全国を旅していろんなレストランのヘルパーにでもなろうかな。」なんてわけの分からないことまで考えました。

そんな気持ちが数日続いたある日、アルバイト先のチーフから「どう、フランスへは行けそう?」と聞かれ、僕は、はっとしました。そしてなぜか「はい、行きます。」と答えたのです。

見栄だったのか、意地だったのか、なんだかボヤっとしていた頭の中がすっきりしたようにはっきり答えたのです。まるでフランスへ再び行けることを確信してるように。不思議です。

“そうだ、僕は諦めないんだ。”

僕は家に帰ってからすぐにフランスへ電話をしました。フランスで知り合った一人の日本人料理人に。

彼に事情を話し、それでもなんとかもう一度フランスで働きたい、なにか方法はないか、と必死な思いで相談しました。

すると彼は、
「そうだったんだ。大変だったね。ちょうど良かったよ、俺、ここ、もうすぐあがるからシェフに紹介しておくよ。ここへ俺の代わりに来たらいい。」

僕は自分の幸運に驚きました。

諦めなくて良かった…。


つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2006-06-02 00:57 | 僕の料理人の道 31~40章

~ 第38章 仕切りなおし ~  <僕の料理人の道>

さて、楽しかったブドウ畑を散策するプチ旅行も終わりパリに来ました。
そういえば、初めて乗った飛行機で初めてきた外国であるフランスの首都パリを1年もフランスにいながら歩いたことすらありませんでした。あの時はなんとか目的地行かなければと頭の中が一杯で地下鉄から地下鉄へと乗り継ぎ、地上を見た記憶すらありませんでした。

パリに着いたのはお昼過ぎ。思っていた以上にパリは寒く軽装の僕には身にしみる寒さでした。
凱旋門をみて、シャンゼリゼ通りを歩く。「世界の散歩道」といわれるシャンゼリゼ通りはあまりにも大きすぎてどこからどこまでなのか分かりませんでした。

あっという間に真っ暗になり近くのビストロで「プラ・ド・ジュール」と書かれた日替わりであろう定食を食べました。「プラ・ド・ジュール」とは本日の料理という意味ですがその日は「フリカッセ・ド・プーレ」(鶏のクリーム煮)でした。グラスのワインとサラダが付いて80フラン(約1600円)。

7時には真っ暗になるフランスの冬。街灯が少なく、薄暗いパリの夜道を1人で歩くのは結構怖いものです。さっさとお昼のうちに見つけてチェックインしておいた安ホテルに戻りましたがこのホテル、安いだけのことはあり、トイレもシャワーも共同のぼんぼろホテルです。一泊100フラン(約2,000円)と安さにつられて泊まったのはいいのですが夜、電球が一個しかない暗い廊下をわたってトイレに行くのは命がけのような思いでした。当然、シャワーを使う勇気は僕にはありませんでした。

朝、早くチェックアウトしてシャルル・ド・ゴールへ向かい「また、戻ってくるんだ」と自分に強く言い聞かせ日本行きの便に乗り込みました。昨日の安ホテルでは安心してぐっすり眠れなかったので、飛行機にのって1時間もすると僕は深く眠りについていました。機内食が運ばれる度に起こされましたが、あっという間に日本に着きました。

「関西国際空港」

まだ、真新しいこの空港にはフランスへ出発したときに一度来ただけですが懐かしさを感じました。多分、空港が懐かしかったのではなく日本が懐かしかったのでしょうが、今でも空港に行くと懐かしさを感じます。

当たり前ですがすでに周りは日本語。話すということがこんなにも楽なことなのかと思いました。たった一年なのにずいぶん長いこと日本を離れていたような不思議な感覚です。

今までも大阪から福井へ帰った時、箱根から福井へ帰った時、それぞれ懐かしさは感じましたが、今回はそんな懐かしさとはちょっと違うものでした。やはり遠く文化の違う海外から久しぶりに帰ってきたので懐かしさの度合いが違ったのでしょうか。なんだかちょっと心地いい気分でした。とりあえず、実家に帰って仕切りなおしです。しなければならないことがたくさんあります。


僕は絶対にあきらめません。

再び美食の国フランスの地を踏むために....


つづく。


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2006-05-30 00:13 | 僕の料理人の道 31~40章

~ 第37章 オスピス・ド・ボーヌ ~  <僕の料理人の道>

c0007246_203276.jpgパリに向かう途中、せっかくなので葡萄畑を見ていこうとブルゴーニュ地方をちょっと旅することにしました。リヨン、ボーヌ、ディジョンと主要都市に立ち止まり、その周りの葡萄畑を散歩する程度でしたが、今まで料理のことばっかり考えていたので目の前に広がる広大な葡萄畑に改めてフランスの文化を感じました。

「あの素晴らしいワインはここから造られるんだ。」

季節は冬だったので葡萄の木には葉っぱが一枚も付いていませんでしたが奇麗に並んでいる葡萄の木を見て彼らワインの造り手の人たちがどれほど葡萄の木を大切にしているかが分かります。背丈もみんな同じ高さに切り揃えてあり土も丁寧に耕されています。

ブルゴーニュ地方のワインの産地はコート・ドール(黄金の丘)と呼ばれ、そのワインの中心地ボーヌにはオスピス・ド・ボーヌという慈善養護病院があります。中世に立てられたこの病院は醸造家の人々がワインを寄進し、そのワインを競売にかけて運営しています。ワインで病院を運営するとは、なんてフランスらしいのでしょう。別名を「オテル・デュー」と言います。

このオスピス・ド・ボーヌを目の前にしたとき、思わず身震いしました。色鮮やかな屋根を持つこの建物は病院というより修道院とか教会といった雰囲気を持ち、圧倒的な存在感がありました。この建物に魅了されてしまった僕はしばらくそこから動けず気が遠くなる感じに襲われたのです。医療技術が未熟な中世では完治して退院していった人よりもこの病院で死を迎えた人のほうが多かったことでしょう。

このオスピス・ド・ボーヌの屋根の模様が脳裏に焼きついて離れないまま、城壁に囲まれた街、ボーヌを一人でぶらぶら歩いていると小さなワイン雑貨店のショーウィンドーの向こうにさっき見た模様が小さく見えました。吸い寄せられるように店内に入りさっきの模様を探し出すとそれはラギオール社のソムリエナイフ(ソムリエがワインを開けるときに使うコークスクリューの付いたナイフ)でした。
そのソムリエナイフを手にとってみると手に吸い付くような感触でした。
僕は料理人なのでソムリエナイフはあまり必要ではないのですがソムリエである弟に是非これをプレゼントして使ってもらおうと決めました。このラギオールのソムリエナイフは日本だと2~3万円はします。いくらだったか忘れてしまいましたが半分位の値段で買えたと思います。それでも僕にとっては全く予定外で高価な買い物でしたが全然後悔などしませんでした。それほど魅力的だったのです。思わず、近くの公衆電話から日本にいる弟へ国際電話をし、オスピス・ド・ボーヌの柄のソムリエナイフをお土産に買ったことを伝えたくらいです。

その後、世界一高価なロマネ・コンティ(ワインの名前)の畑を見て一人で興奮して溝に足を突っ込んだり、ジュヴレイ・シャンベルタン村からフィサン村まで歩いているうちに暗くなってしまい道に迷ってしまったりといろいろありましたが楽しい旅になりました。

今、自分の置かれている状況をすっかり忘れて…。


つづく

*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。

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by le-tomo | 2006-05-22 20:04 | 僕の料理人の道 31~40章

~第36章 ミストラル~  <僕の料理人の道>

車の中でオーナー夫妻とおしゃべりをしているうちに楽しい気分になってきていつの間にか自分の置かれている状況を忘れてしまいました。あっという間にレストランに着くと玄関にはオーナーの愛犬“イケム”が寝そべっていて僕を迎えてくれました。この日はレストランが休みの日で厨房は真っ暗でした。

玄関に入るとオーナーは僕に「トモの部屋はまだそのままだからいつものように使っていいよ。」と言ってくれ「おやすみなさい。」を言って2階へ上がりその日はそのまま深い眠りに入りました。夜の12時を過ぎていました。

翌朝、目が覚め、顔を洗い、1階に下りて行くともうみんな厨房で働いていました。

「ボンジュール」

僕の一声でみんな手を止めました。どうやらオーナーは僕が帰ってきていることを知らせていなかったようです。

「おぉぉっ!どうしたんだよ、トモ。もう、くじけて帰ってきたのか?早く着替えろよ、忙しいんだから。」

シェフのマックがニヤニヤして近寄ってきました。仕事の手を休めてみんなが声をかけてくれるのをうれしく思いましたがそこそこで振り切ってオーナーを探しにサロンへ向かいました。椅子に座って本を読んでるマダムを見つけ、彼女にこの先僕がすべきことを相談をするとマダムはオーベルジュ・ド・ラトルへ電話をしてくれ詳しい事情を聞いてくれました。再びあのレストランで働くのは結構難しいことのようでした。一度、日本へ帰って大使館へ申請しなければならない書類があるらしいのですが通るかどうかわからないし何ヶ月も待たされるかも知れないとのことです。

「どうする、トモ?しばらくこのままここにいてもいいのよ。」

この言葉に甘えたい気持ちでいっぱいでした。昨日までは、またここでしばらくお世話になろうと思っていました。でも、いつまでも甘えてばかりじゃ前に進まないような気がして僕は一度日本へ帰る決心をしました。微かなチャンスにかけてみようと思ったのです。

まかないの時間がやってきました。久々にここの仲間とまかないを食べながら向こうであったことをみんなに話し日本へ一度帰ることも話しました。

「ほんとに帰るのか?ここにいろよ。」「また、一緒に働こうぜ、トモ。」「いつでも待っているからな。」

こんなうれしい言葉を聴きながら僕は1週間後パリのシャルル・ド・ゴール空港に向かうことにしました。寒い真冬の真っ只中のはずでしたが、ここプロヴァンスはそれほど寒くはありませんでした。唯一、ミストラルと呼ばれるプロヴァンス地方特有の強い風が寒さを感じさせる程度でした。

このミストラルは僕にとって追い風なのか向かい風なのか、そんなことを考えながら再びプロヴァンスをあとにしました。



つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2006-05-09 07:18 | 僕の料理人の道 31~40章

~第35章 マダムのサンドウィッチ~  <僕の料理人の道>

5時間ほど電車に揺られながら僕は今後のことを考えていました。
“とりあえず、またマス・ド・キュル・ブルス”にお世話になってレストランを探そうか。“
“いや、サラモラシェフは僕を呼び戻すって言ってくれていた。それに賭けてみようか。一度日本に帰って仕切りなおそう。”

今、日本に帰ったら戻ってこれないような気もして不安でしたがもう一度、オーベルジュ・ド・ラトルで働きたいという気持ちも強く5時間かけて悩んだ末、結論は出ませんでした。

アヴィニヨン駅に着いた頃は初めてフランスへ来たときと同じく真っ暗でした。夜の11時を回っていました。電車から降りて改札を出るとオーナー夫妻が迎えに来てくれていました。僕を見つけるとムッシュ・ポマレードが先に僕の目の前まで駆け寄ってきて僕の肩を抱いて自分の方へ引き寄せました。

「ボンソワー、お帰りトモ。」

彼は僕より背が小さいので僕はかがむような姿勢で「メルシー、ムッシュー。」(ありがとう。)と返しました。「ただいま」と言うべきなのでしょうが「ただいま」という言葉が出てきませんでした。

マダムも笑顔で迎えてくれ彼らの温かさに感動し“このまま、彼らにもうしばらくお世話になって一からレストラン探しをしよう。”

この時、そう思いました。
荷物をトランクに入れ、僕は車の後部座席に座り、窓から見える景色を眺めました。ゆっくり走る車の中から見える景色に懐かしさを感じながら、さっきまでの不安は車のスピードと同じ速さでゆっくりと薄れていきました。

マダムが、僕がお腹を空かしてるんじゃないかとサンドウィッチを持ってきてくれていて、助手席から後ろにいる僕に手渡しました。

「ヴォアラ(どうぞ)、トモ。私のスペシャリテよ。」

レストランで余ったパンにチーズとハムが挟んであるだけの簡単なサンドウィッチで、マダムが僕を迎えに出てくる前に慌てて作った感じでした。僕はお腹が空いていることを忘れていたのですが、サンドウィッチを見ると急にお腹が空き、マダムから手渡されたサンドウィッチがたまらなくご馳走に思えました。普段料理をほとんど作らない不器用なマダムが切れない包丁でギザギザにパンを切り、ハムやチーズを大ざっぱにカットしてパンからはみ出ている不恰好なこのサンドウィッチが今の僕には最高に美味しくに感じました。
このとき僕は思いました。

“料理は作る人が食べさせる人のことを思いながら作ったとき最高に美味しくなるんだ。”

僕はフランスに料理の修業に来ています。このとき、調理技術以外のガストロノミー(美食学)を学んだような気がしました。


つづく


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by le-tomo | 2006-05-04 00:22 | 僕の料理人の道 31~40章

~第34章 帰ってらっしゃい~  <僕の料理人の道>

マダムの運転する車で駅に向う途中、彼女は気を使って僕を励ましてくれていたのですが全く耳に入らず、駅に着いてからどうしようかということばかり考えていました。ここ、キャレ・レ・トンベ村のある真冬の山は僕の今の心境を表すかのように寂しく、色あせた景色に見えました。

山のふもとに差し掛かり、少しずつ増えてくる建物の数が、駅が近づいてくることを感じさせました。
“数ヶ月前はこの道を期待に胸膨らませ上ってきたんだよなぁ。”
あの時と同じく隣でハンドルを握っているのは色白で美人のマダムでした。

みんなに突然のさよならを言ってから1時間ちょっと経ったでしょうか。僕を乗せた車は小さな駅に着きました。“こんなに小さかったっけ。”小さくなっている筈はありませんが思っていたより小さく感じました。
車を降りてスーツケースを下ろして駅の前に呆然と立ちすくんでいるとマダムが僕に封筒を手渡しました。

「ごめんね。これだけしか出来なくて。」

封筒を開けると500フランが5枚入っていました。そしてマダムは切符売り場へ行って一枚の切符を買い、

「30分後にディジョン行きの電車が来るからそれに乗ってディジョン駅で乗り換えてパリに行くのよ。」

と言って、僕にパリ行きの切符を手渡しました。僕は「ありがとうございました。」と言ってマダムと握手をし、マダムを見送って駅の待合室に腰を降ろしました。

“さて、どうしよう。パリに行っても何も当てが無い。どこかホテルを探して明日になったら飛行機のチケットを買ってすぐに日本に帰ろうか。でも、何処で飛行機のチケットが買えるんだ?”

当ても無く途方にくれていたとき、慌てて仕舞ったスーツケースから衣類がはみ出しているのに気づき一度スーツケースを開けることにしました。ベンチの上でスーツケースを空け、雑に畳んだシャツやズボンを畳みなおしました。すると一枚の紙が真ん中のポケットに入っているのを見つけました。この紙は、僕がこのレストランに来た翌日にレストランに届いたFAXです。ここへ来る前に働いていたプロヴァンスのレストラン「マス・ド・キュル・ブルス」のみんなが送ってくれたもので一人一言ずつ書いてある寄せ書きのようなものです。

その寄せ書きを読み返し、気づいたのです。“僕には当てがある。”

駅にある公衆電話の受話器を取りマス・ド・キュル・ブルスに電話をしました。電話に出たのはオーナーのマダム・ポマレードでした。事情を話すとマダム・ポマレードは「すぐに帰ってらっしゃい。」と言ってくれました。「帰ってらっしゃい」の言葉に僕は胸を打たれ、安心したのか涙がでました。


つづく

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by le-tomo | 2006-04-28 22:47 | 僕の料理人の道 31~40章

~第33章 オー・ルヴォワール~  <僕の料理人の道>

このレストランにも慣れてきて仕事が楽しくなってきた頃のことです。

ロティスリーで毎日スー・シェフ(2番手)と一緒に主に肉を焼くことと、肉料理の付けあわせを用意することが僕の仕事でした。いつものようにランチタイムを終えみんなとまかないを食べながら次の休みに「ラ・コート・ドールへ食事に行こう」という話しになりました。ラ・コート・ドールとはこの先、20Km程行ったところにある3ツ星レストランで“水の魔術師”と歌われて名高いベルナール・ロワゾー氏がオーナーシェフの素晴らしいレストランです。ここに来てから今までどこにも行かず、ただアパートとレストランの往復だけだったのでラ・コート・ドールへみんなで食事に行くことは僕にはとても楽しみでした。

そんな無駄話をしながらまかないを食べ終えみんなと一緒に騒いでいた時、シェフが来て僕を呼び出しました。なにやら深刻そうでした。

シェフに連れられシェフルームに入ると男性が一人座っていました。スーツをきちんと着こなした40歳前後のスマートな男性です。その男性の目の前の椅子に座るよう言われ訳が分からずゆっくりと腰を降ろすとシェフが僕にこう言いました。

「トモ、すまない。このまま、トモをここへ置いておくわけにはいかなくなった。」

シェフが何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。続けて立ったまま彼は座っている男性を僕に紹介しました。彼は弁護士とのこと。弁護士と聞いて僕は驚きましたが驚いている僕の事はおかまいなしに弁護士は早口で事情の説明をし始めました。僕の知らない単語を早口で並べられ、僕が戸惑っている姿を見かねたシェフがいつもの優しい声で話しかけました。

「トモ、きっと呼び戻すから、一度日本へ帰って待っていてくれ。」

僕はその時、“僕はもう、ここには居れないんだ”ということがようやく分かったのです。
シェフルームから出るとその足でシェフに連れられ外に止まっている車へと連れて行かれました。運転席にはマダム(シェフの奥さん)が座っていました。

まかないを終え休憩していたコック仲間が何か起こったのかとレストランから出てきてそのうちの一人が叫びました。

「トモ、何処へ行くんだよ!」

僕はどう答えて言いか分からず下を向いたままだったのですがシェフが僕の代わりに答えてくれました。

「トモは日本に帰るんだよ。でも、また戻ってくるから。」

僕は車に乗り込みドアを閉める前になんとか一言声に出してみんなに言いました。

「オー・ルヴォワール」(さようなら)

僕はもう、ここへは戻ってこれない気がしたのです。
今度の休みにみんなと一緒にラ・コート・ドールへ食事に行く約束は果たせそうにありませんでした。

汚れたコックコートを着たままマダムの運転する車に乗って荷物を取りにアパートに向かったのです。荷物をまとめたら近くの駅まで送ってもらう予定でした。その時まだ僕の頭の中は整理できていませんでした。

一体、これからどうすればいいんだろう...。


つづく


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by le-tomo | 2006-04-26 20:57 | 僕の料理人の道 31~40章

~第32章 片目のモロッコ人~  <僕の料理人の道>

ルームメイトのモロッコ人は片目でした。

彼は同じ外人の僕に親近感を持ったのか部屋に帰るとビールを持ってやってきました。とても優しそうで話しやすい人です。彼はモロッコから8年前にフランスへ来て数年前からこのレストランで働いているとのこと。結婚もしていて奥さんも子供もいるらしい。でも奥さんはモロッコで子供と一緒に暮らしているようです。

「なぜ、一人でフランスへ?奥さんと子供は連れてこないの?」

僕の素朴な質問に彼は、“出来ればそうしてるよ。”といった感じで答えました。

「いつか、家族一緒に暮らす為に俺は今フランスで頑張って稼いでいるんだ。俺の家は貧しいから出稼ぎをして仕送りをしないと生きていけない。もう少し頑張れば妻も子供もフランスへ呼べる。あと、少しなんだ。」

貧しい国の人が出稼ぎをして国に残してきた家族に仕送りをする、いつか家族と一緒に暮らすために…。

聞いたことはあるけどそんな人が実際に目の前にいる。このフランスへ、生きる為に来ている彼と料理の修業に来ている僕とでは気迫が違う。

彼は優しい口調で話していましたがその言葉には力強い生命力を感じました。
彼の片目はフランスへ来た最初の頃、職場のフランス人にいじめられて失ったそうです。それでも彼は国に帰らず家族を守る為に、生きていく為にフランスに残りました。そして今、ここで皿洗いをしています。彼は、サラモラ氏(このレストランのオーナーシェフ)が俺を拾ってくれた、とシェフにとても感謝していました。
彼は、こんな事情があるなんてとても信じられないくらい明るく、片目を奪ったフランス人を憎むことなく生きています。毎日、全力で皿洗いをしています。

僕がなぜフランスへ来たかなんてとても彼に話せるようなスケールではないなと、このとき完全に気迫負けしていました。それでも聞かれたので細々と話してみると彼は、「頑張れよ。きっといいシェフになれるよ。」と励ましてくれました。

彼の“頑張れよ”という言葉は僕にとって重く深く心に響きました。



つづく


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by le-tomo | 2006-04-19 23:32 | 僕の料理人の道 31~40章

~第31章 賄いはトリュフオムレツ~  <僕の料理人の道>

朝、厨房に入ると2番手らしきコックが僕に話しかけてきました。彼はみんなに僕を紹介すると今日からひとまずパティスリー(デザート部門)に2週間入るように言いました。

“パティスリーに2週間?まずはパティシエかぁ。デザートも大事だよな。”
デザートを作るのは嫌いではなかったので喜んでパティスリーに行きました。まぁ、修行中の身で好きとか嫌いなんて言える立場じゃないんですが。

早速、パティスリーに行き指示に従い仕事を始めました。パティシエは3人いて僕が入ったので4人になりました。この規模の割にはパティシエが多いほうです。4人もいて(僕はこの時はまだ戦力外でしょうが)無茶苦茶忙しいのです。仕事が終わりデザートメニューを見せてもらいびっくり!
デザートが20種類以上あって、その他、アイス・シャーベット類が10種類以上あるのです。

“これじゃあ、忙しいはずだよな。”

おかげで目一杯デザートの勉強をさせてもらいました。

2週間後、次はポワソニエ(魚料理)のセクションに移りました。でも、このセクションは短く1週間程度でロティスリー(肉料理)のセクションに移ったのです。この時期はジビエ(狩猟野鳥獣)の盛んな季節でしたので毎日、いろんなジビエが入ってきました。そして毎日、野生の茸も10種類以上ありました。

特に茸料理はシェフのスペシャリテで野生の茸を全部種類ごと別々に火を入れるといった手の込みようでした。簡単に見える茸のソテーも実は全部別々に火入れをしているのです。しかも、野生の茸を自分たちで山へ採りに行くのです。茸を採りに行く日は朝5時起きでした。秋も深くなってきた山の中は震えるくらい寒く、霧深かったことを覚えています。

この時期、もうひとつの魅力的な食材と言えばトリュフ。もちろん、ここにもたくさんの黒トリュフが届きます。みんな早速、トリュフと卵を一緒に容器にいれ、トリュフの香りが卵に移った頃にオムレツを作りまかないでこの高貴な香りを楽しみました。

もちろん、トリュフは入っていませんでした...。


つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2006-04-17 00:45 | 僕の料理人の道 31~40章
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東京のエルコーポレーションと福井のマイナーリバーズの2つの会社を経営し、エルブランシュのオーナーシェフをしています。


by le-tomo
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