料理人の休日

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カテゴリ:僕の料理人の道 21~30章( 11 )

~第30章 オーベルジュ・ド・ラトル~  <僕の料理人の道>

アヴィニヨン駅でマダム・ポマレードと別れを告げ新しい修行先のヨンヌ県へ向う電車に乗り込みました。内心不安もありましたがフランスへ初めてきた8ヶ月前よりは随分余裕がありました。到着までは5時間くらいかかったような気がします。前の日は朝方までみんなと飲んでいたので電車が出発してから10分も経たないうちに眠ってしまいました。

今度の修行先はヨンヌ県のキャレレトンベ村にあるミシュラン一つ星のレストラン、“オーベルジュ・ド・ラトル”というレストランです。駅に到着すると一人の女性が僕を迎えに来ていてくれました。彼女はすぐに僕を見つけ車に乗せ走り出しました。彼女はシェフの奥さんだということは最初の挨拶ですぐに分かりました。僕を乗せた車はどんどん山の中へ入っていきます。“本当にこんなところにレストランがあるのか”と心配になるくらいです。そして4~50分走らせたところでようやく一軒の建物が見えてきたのです。これが今度の修行先“オーベルジュ・ド・ラトル”です。

レストランに着くとちょうどランチタイムが終わったところでみんな休憩に入る準備をしていました。シェフが出てきて挨拶をするとウェイティングルームのようなところに座らされシェフと一緒に少し話をしました。どうやらここのシェフは外国人を雇うのは僕が初めてらしいのです。

30分くらい話をしたでしょうか、シェフはスタッフの一人を呼んで僕を寮に連れて行くよう指示し、彼について僕はこれから寝泊りをするアパートへ向いました。アパートに着くとルームメイトが2人いて一人はソムリエ、一人は洗い場のモロッコ人でした。

早速荷物を置き、ちょっとホッとしたところでルームメイトの2人が僕の部屋に来ていろんなことを聞かれました。初めて見る日本人が珍しかったのでしょう。

ディナーが始まるということでソムリエが僕を一緒にレストランまで連れて行ってくれました。すでに厨房では仕込みが始まっていましたがこの日はただ見ているだけでした。流石に星が付いているせいかスタッフが前に働いていたところの倍くらいいます。調理場だけで12~3人はいたでしょう。それでも客席がほぼ満席になるこのレストランの厨房はめまぐるしく忙しそうです。

“こんな田舎なのにどうしてこんなにたくさんのお客さんがくるのだろう”

プロヴァンスにいたときも田舎でしたが自転車で10分も走れば駅のある町にでました。でも、ここは到底町など近くになさそうな山の中です。フランス人とは美味しいものを食べる為なら労力を惜しまないのでしょうか。驚きました。

そして、初日があっという間に終わり後片付けを始めた頃、シェフが僕に寄ってきて「俺は茸料理がスペシャリテなんだ。ここには素晴らしい野生の茸がたくさんある。この時期に来て良かったな。」と、自分の得意料理の話をしました。秋は野生の茸がたくさん出回ってジビエの美味しい季節なのです。

明日からはどのセクションで働かせてもらえるのだろうか。ワクワクします。


つづく

「オーベルジュ・ド・ラトル」

*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2006-04-09 23:49 | 僕の料理人の道 21~30章

~第29章 ボンクラージュ~  <僕の料理人の道>

フランスへ来て最初の修行先のレストラン最後の日…。

いつものように朝、厨房に入り、いつもと変わらない仕込を始める。ただ、今日でこのレストラン最後の日。みんなといつものように挨拶をするがなんとなく僕は気合が入ります。

辞めることが決まってからシェフの横でストーブ前に立ち主に肉を焼いたりソースを仕込んだりするのが僕の仕事になっていました。オードブルのセクションとは違い営業が始まってからが勝負のポジション。一日多いときだと100人のお客様が来るこのレストランでのストーブ前はオードブルのセクションより正確でスピーディな仕事が要求されました。京都にいたときもストーブ前は経験していましたがお客様の数が違いました。そしてフランス人のシェフから食材の火入れ、ソースに対する考え方を間近で体感しながら学ぶことが出来ました。

僕はここで基本となるフランス人の考え方を学びました。このレストランは星なんて一つも付いていませんでしたが僕にとっては料理人にとしての大きな第一歩を踏み出す場となったことに違いません。今でもかけがえの無いレストランです。

仕事ももう終わりに近づき後片付けを始めた頃、いつもはアプランティがごみを捨てに行くのですがシェフから「トモ、悪いがゴミを捨ててきてくれ。」と頼まれました。もちろん、断る理由も無く「分かりました。」と返事をし、ごみをまとめ敷地内にあるごみ捨て場まで台車にごみを乗せ向かいました。厨房からごみ捨て場に行くにはプールサイドを通っていかなければなりませんでした。

プールサイドの横を通り過ぎようとしたときです。脇にある草むらからなにやらゴソゴソと音がしました。振り向くとその瞬間5人くらいの人が出てきて僕を捕まえ持ち上げたのです。
何がなんだか分からず僕はびっくりしました。そして体が宙に浮いているとき僕を持ち上げているのはシェフをはじめ一緒に働いていた料理人だということが白いコックコートを見て分かりました。

と、次の瞬間

“バッシャーン”

という水しぶきと共に僕はプールに放り投げられていました。
一度プールの底に沈んだあと水面から顔を出すと

「ボンクラージュ、トモ!」(頑張ってこいよ、トモ!)

とみんなの声が聞こえました。
シェフがプールから顔を出したまま唖然としている僕に手を差し伸べ引き上げました。水浸しのまま厨房に戻るとオーナーをはじめ全スタッフが僕を笑いながら迎えてくれました。

「これがフランス流よ。」

と、マダム・ポマレードが僕に言いました。

とりあえず着替えてきてみんなの待つ厨房に向かうと僕の送迎会を開いてくれるということでバーに向かいました。シャンパンで乾杯をした後は朝までみんなでおしゃべりをしたのです。僕はまだ、フランス語が堪能ではありませんでしたが少しは話せるようになっていたのでとても楽しい時間でした。

翌朝、寝不足でしたが清々しい気分で起きてここ“マス・ド・キュル・ブルス”を旅立ちました。駅までマダム・ポマレードが送ってくれました。この日はマス・ド・キュル・ブルスのレストランは定休日でした。


つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2006-04-05 01:24 | 僕の料理人の道 21~30章

~第28章 100件目のレストラン~  <僕の料理人の道>

ジョフレイは自分のジュースを作り終えると一口飲んでから、僕の渡した手紙を読み始めました。

「・・・。」
「トモ、ここへ行くの?」


「えっ!行けるの?」
僕は急に嬉しさがこみ上げてきました。“やっぱり、OKの返事だ。”


ジョフレイは手紙の内容を簡単に僕に説明した後、「お母さんに見せてこよう。」といってマダム・ポマレードのいる部屋に走っていきこの手紙をマダムに渡しました。マダムもこの吉報をすごく喜んでくれ、すぐに連絡したほうがいいとこのレストランに電話をしてくれました。

ただ、ジョフレイは遊び友達が一人減るので少し寂しそうな感じでした。彼とはよく休みの日に遊びました。特に剣道を教えたことをよく覚えています。剣道は中学生の時、体育の授業で少し習っただけなのでいい加減なものですが、ジョフレイは真剣に聞いてくれました。

こうして僕は100件くらいのレストランに手紙を出してやっと1件、僕を雇ってくれるレストランを見つけたのです。場所はシャブリという白ワインで有名なヨンヌ県にある一つ星のレストランです。出発は2週間後。

ディナーの仕込みが始まる時間、シェフが来るとすぐにこのことを報告するとシェフは僕に
「よかったな、トモ。じゃあ、あと少しだけども今日から俺と一緒にストーブ前をやろうか。」
と言ってくれました。ストーブ前とは魚や肉を焼くセクションです。かなり高等な技術を要します。

フランスへは、もちろん料理の勉強に来たのですが、初めて外国で生活をして異国の人間とふれあうことで料理以外にもたくさん勉強をさせてもらいました。こんなに温かく言葉の分からない日本人の僕を受け入れてくれたマス・ド・キュル・ブルスのみんなには感謝の気持ちで一杯です。

最後の2週間は特にいろいろありました。
オーナーの家族みんなで映画に行ったり、シェフと卓球の決着をつけるべくシェフの奥さんを立ち合わせて試合をしたり。

こんなこともありました。
受付の女性スタッフが3歳の子供を職場に連れてきたのですが、1時間だけ見ていてくれと僕に預けたのです。僕は日本人の子供も面倒みたことないのであせりましたが1時間だけのことだからと了解しました。その子が好きだという絵本を渡されてそれを読んであげることになったのですがどうやら僕のたどたどしいフランス語じゃ満足せず絵本を子供に取り上げられ逆に僕がその子に読んでもらう羽目に…。

ノエミのうちに行って僕が腕を振るって夕飯も作りました。

アプランティ(見習い)のヨアンヌの親がお世話になったからといって僕を夕飯に招待してくれてお別れ会を開いてくれたりもしました。

最初の修行先がここで本当によかったと心のそこから思いました。

そして、とうとう最後の日を迎えました。


つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2006-03-31 01:22 | 僕の料理人の道 21~30章

~第27章 とあるオーベルジュからの手紙~ <僕の料理人の道>

それでも諦めずに手紙を書き続けました。
100件くらいのレストランに手紙を書いたでしょうか。その頃には手紙を書くのが習慣のようになっていました。

“別に無理に他のレストランに移らなくてもここにいれば楽なんじゃないか。”

そんなことを思うときもありました。でも、せっかくフランスで働けるチャンスなのでいろんなレストランで働いて見たいという意思は強く、ただひたすら手紙を書き続けました。

あんなにうるさかったセミの鳴き声は聞こえなくなり、ほんの少し涼しい風が吹きはじめた頃、ブルゴーニュ地方のオーベルジュから一通の手紙が届きました。手紙を書き始めてからたまにですがこうやって返事が何通か返ってきたことはありましたがいずれもいい返事は一通もありませんでした。手紙を書き始めた頃は受け取ったらすぐにその場で開封していたのですが今ではとりあえずポケットにしまうようになっていました。

ランチタイムが終わりディナーの仕込みまで時間があるので部屋に戻り別途に横たわって今朝届いたオーベルジュからの手紙を開けました。この日はサッカーの練習もシェフとの卓球も無かったのです。

封を開けてフランス語で書かれた手紙を読むといつもの内容と何か違うような気がしたのです。手紙を読むと言ってもまだ、僕には文章をすらすら読めるほどフランス語が達者なわけでもなく何通か届いたネガティブな手紙を読んでいるうちにそんな文章に慣れたといったほうが正しいでしょう。意味は分からなくてもなんとなく内容は分かるものです。だいたい良く似た単語が並んでいますから。

“今回届いた手紙の内容はなんとなく違うような。もしかして…。”

急に希望が湧いてきました。早速辞書をひきましたが確信が持てず誰かに見せなければと焦りました。急いで誰かに見せなければ…。

2階にある僕の部屋から階段を駆け下り1階へ。人の気配を探してバーに向かいました。そこにはオーナーの息子“ジョフレイ”がシロップでジュースを作って飲んでいました。

彼はまだ11歳。でもこの際フランス語が読めれば誰でもいい。

「サリュー、ジョフレイ。この手紙を読んでくれないか?」


つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2006-03-21 22:56 | 僕の料理人の道 21~30章

~第27章 手紙とペンだこ~  <僕の料理人の道>

フランスでの最初の修行の地、南仏プロヴァンスへ来て早や半年が過ぎました。

このレストランではオードブルを任されるようになりみんなとも打ち解けて、思うようにフランス語で話せないものの相手の言っていることはなんとなく分かるようになっていました。

“そろそろ、次のレストランを探し始めようかな。”

そんなことを思うようになっていたのです。そこで、このことをオーナーやシェフに話しました。日本から修行に来ていてそんなに何年もフランスに居れないことをみんな知っていたので快く協力してくれることになりました。みんなに手伝ってもらいながら履歴書と職務経歴書を書いて、フランス語で手紙を添えてミシュランから希望のレストランを20件リストアップし投函しました。次に僕が選んだ地方はブルゴーニュです。ワインで有名なブルゴーニュ地方には素晴らしいレストランがたくさんあるのです。僕自身ブルゴーニュのワインが一番好きなのでまだ、行き先が決まっていないのにワクワクしていました。

手紙を出してから1週間...、一通も返事が来ません。
そう簡単に日本人を雇ってくれるレストランなど無かったのです。簡単ではないことは分かっていたのですが一通も返事すら来ないなんてショックでした。でも、落ち込んでいるわけにはいきません。すぐにまた、別のレストランを20件リストアップして手紙を書きました。僕は全ての書類と手紙をコピーやワープロではなく手書きで書いていました。

そして祈りを込めてポストへ…。

ついに3日後、僕宛に電話が来ました。そうです、先日、手紙を送ったレストランからだったのです。オーナーのマダムが飛んできました。

「来たわよ、トモ!レストランからよ!」
「どうする?私が代わりに聞いてあげるわ。」

と僕の返事も待たずに、言葉に不安のある僕の代わりに話を聞いてくれました。
すると、その電話はものの30秒もしないうちに終わり、マダムは受話器を置きました。僕はすぐに察しました。

駄目だったんだと...。

次の日、一通の手紙が届きました。レストランからです。その手紙を手にし、祈るように封をあけ一枚だけ入っている手紙を読みました。目の前に辞書を置いて。

...また、駄目でした。
それっきり、1週間経っても一通も返事は来ませんでした。これで1件に対し3枚の紙を書いていたので合計で120枚の手書きの紙が何の意味も持たず消えていったのです。僕の右手には包丁だこと一緒にペンだこが出来ていました。


つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2006-03-10 00:33 | 僕の料理人の道 21~30章

~第26章 プロヴァンスの夏~  <僕の料理人の道>

僕の働いているオーベルジュ“マス・ド・キュル・ブルス”はプロヴァンス地方のボークリューズ県にあるのですがこのプロヴァンス地方が一番魅力的な季節はやっぱり“夏”です。夏になると日本と同じように日差しが強くなり気温もどんどん上がり、時には40度近くにもなります。ただ、湿気が少ないせいでしょうか、バテるような暑さではなく冷房などなくても全然平気でした。そしてこのプロヴァンスのシンボルでもあるセミが鳴きだします。セミはフランス語で“シガル”といい、この地方のお土産屋さんではこのシガルをデザインした陶器製の飾りものがよく売られているのを見かけます。昆虫が苦手な人にはセミの飾りものなんて気持ち悪いとお思いかも知れませんが見慣れると愛着がわくデザインです。

このオーベルジュの庭はかなり広くテラスはもちろん、プールやちょっとした畑まであります。夏になると野菜の種類が一気に増え、メニューを考えるのもワクワクするぐらい美味しい野菜がどんどん届きます。

そんな美味しい野菜を生のままミキサーにかけオリーブオイルを少し加えたガスパチョを作ることにしました。このリソラソルグ村の隣にカヴァイヨンという小さな村があります。このカヴァイヨンはメロンの産地で赤い果肉の甘いメロンがたくさん採れるのです。そこでこのメロンを丸くくり抜いてガスパチョに浮かべ生ハムを添えて見ました。野菜の香りとメロンの甘さ、それから生ハムの塩味、これはいけます。

今度は赤や黄色の大きなパプリカがごろごろ届いているではありませんか!早速、そのパプリカをオーブンでローストして皮をむきオリーブオイルや自家農園のハーブでマリネしてテリーヌ型につめ冷蔵庫でよく冷やして切り分け、近くの農場で作っているシェーブル(山羊)チーズのムースを添えて…。

はたまた、こんなところに小ぶりの完熟の桃がゴロゴロと!これは湯むきして小さく切り分け、今朝届いたぶっといズッキーニをスライスして一緒にサラダにすれば美味しいかも。ドレッシングにはミントとアーモンドを入れてみようかな…。

こんな感じで僕には目の前の食材が“こうやったらもっと甘くなるよ。美味しくなるよ。こんなのはどう?”と訴えかけてくるようで嬉しくてたまりませんでした。

僕のセクションはオードブル部門です。今ではすっかりここを任され部下を2人従え自由にオードブルを考えることが出来ます。その2人の部下とは2,3ヶ月前まで先輩だった金髪の少女フロロンスと大男クリストフ。金髪の少女と聞いて皆さん羨ましがるかもしれませんが、彼女は結構勝気な女の子でまるで男の子のようでした。でも美女には間違いありません。そしてこの大男クリストフ、実はオカマです。このことを知ってからあまり近づかないようにしていたのですがすぐに寄ってきます。ちょっと危険な男?ですが仕事も速く力持ち。そして結構面白いやつです。

太陽の光を一杯に浴びた野菜やハーブが生い茂りシガルの鳴き声が響きわたる夏。
僕がフランスに来てもうすぐ半年になろうとしているプロヴァンスの夏でした。

つづく

*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。

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←大男のクリストフ
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by le-tomo | 2006-02-17 22:39 | 僕の料理人の道 21~30章

~第25章 仕事と遊び~  <僕の料理人の道>

妙さんやノエミに出会って日本語を話す機会が出来たのは僕にとって大きな喜びの一つでしたが、彼らフランス人の仲間ともうまく会話は出来ないものの遊びを通してコミュニケーションが少しずつとれるようになってきました。


フランスのレストランではディナーの営業が始まるのが8時頃からですからランチタイムが終わってからディナーの仕込みまで2時間以上休憩時間があるのです。日本では6時ごろからディナーが始まるので少ない休憩時間は仕込みに追われてほとんどありませんでした。

そんな、たっぷりある休憩時間を利用して時々みんなで広場に行ってサッカーをしたものです。フランスでは野球はあまり人気がなくサッカーやテニスが盛んでした。僕はサッカーをあまりしたことはなかったのですがみんなと一緒にひたすら前へ前へボール蹴っているだけでもみんなとの一体感みたいなものがあって楽しかったのです。こんな時、言葉はあまり重要ではありませんでした。目の前にきたボールはパスするかゴールに向って思いっきり蹴るだけ。そしてサッカーはチームでするスポーツなのでそれぞれのポジションと役目が決まっていて各自その役目を全うすることが大事でした。まるで調理場での仕事のようでした。調理場でもそれぞれ役割が決められていて各セクションが役割を全うして料理が完成するのですから。

もうひとつ、シェフと僕はよく卓球をしました。彼の家には卓球台があり彼は学生時代マルセイユでチャンピオンだったそうです。フランスでは卓球もかなりポピュラーなスポーツで家庭に卓球台があるなんてのは特に珍しくありませんでした。

チャンピオンになるほどの腕前を持つシェフのマックにいつも僕はぼろ負け…とお思いでしょうが、実は僕もなかなかの腕前で結構いい勝負をしました。マックは僕の腕前を認めると、サッカーをしない日はしょっちゅう家に僕を呼んで卓球をしようと誘いました。調理場では彼はシェフで一番偉いのですが卓球台を前にするとそんなのは関係ありません。お互いに本気でピンポン玉を打ち合い続けました。毎日、僕はオードブルを考えながら新しいサーブも考えていました。マックをやっつける為に…。

“仕事も遊びも全力”といった感じでこの後ディナーの営業があることを忘れてるんじゃないかと思うくらいくたくたになるほど本気で遊んだものです。彼らにとって遊びは必要なのでしょう。彼らの仕事に対しての瞬発力、集中力は日本人とは比べ物にならないものです。ただ、長時間働くことは苦手で、どんなに忙しくても必ず休憩をとります。そして身体を休めるというよりは身体を動かして気分転換をすることのほうが向いているようでした。そうやって思いっきり遊んで疲れることは心地いい疲れだとマックはいつも言っていました。

スポーツをしているときは言葉の壁をすっかり忘れて思いっきりみんなとぶつかりあえたのです。

そうして毎日が少しずつ充実していくのを感じました。


つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。

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by le-tomo | 2006-02-15 13:47 | 僕の料理人の道 21~30章

~第24章 謎の日本人~  <僕の料理人の道>

そうです、“こんにちは”は日本語です。当たり前ですよね。
そして日本語を話す謎の女性は、僕の歯のことを説明し始めました。
「彼女があなたに説明してほしいって言っているので説明しますね。あなたは下の歯が痛いとおしゃっているけど虫歯は上の歯なんです。神経がつながっているから上の歯が虫歯なのに下の歯が痛く感じることもあるんですって。お分かりですか?」

いいや、よく分かります。全て理解しました。ここ数ヶ月間日本語を聞いていなかったので、改めて言葉が分かるって素晴らしいなぁと思いました。

さて、この謎の日本人はいったい...。

その後、治療は時々分からないこともあったのですが順調に進み一回目の治療は終了。支払いをしようとしたらあと一回こなければならないからその時でいいとのこと。そして500フラン用意してくるようにと言われました。日本円で約1万円です。高いのでしょうが、思っていたほどとられなくてほっとしました。

そして、歯医者を出て僕は地図を見ながらあるところへ向いました。

実はさっきの電話の謎の日本人女性から日本人の方がこの村にいるなんて珍しいことだから是非会いたいと言っていただいたのです。そして道順を教えてもらいそのメモを持ってそこへ向かったのです。村のほぼ中心に彼女の家はありました。チャイムを鳴らすと50歳くらいの女性が出てきました。
「こんにちは。ようこそ。どうぞお入り下さい。」

彼女のあとをついて2階に上がるとテーブルが真ん中にあり、年配の男性が座っていました。彼は旦那さんだそうで、もう退職していましたが以前は裁判官だったとの事です。すでに70歳を超えていました。彼女はフランス人の彼と結婚をしてからずっと、もう20年以上フランスで生活していると話してくれました。陶芸をしながら生活をしていて名前を“妙”(たえ)と言います。

こうして彼女が入れてくれたコーヒーを飲みながらいろいろと話をしていると時間を忘れいつの間にか2時間以上経っていました。

夕焼けが窓の外を真っ赤に照らすころ、一人の女の子が学校から帰って来ました。彼女の名前は“Noemie”(ノエミ)。妙さんの一人娘です。ノエミは当時17歳、高校生でした。彼女は見知らぬ僕がいても全然平気で人見知りなどしない明るい知的な感じの女性です。フランス語はもちろん、日本語もぺらぺらで会話には全く困りませんでした。

あつかましくもその日は夕飯までご馳走になって思う存分日本語を話すことができ、清々しい気分で薄暗い街灯の中、僕はレストランへ帰っていきました。ノエミとは、週に一度程度日本語とフランス語の交換授業をする約束していました。とは言っても彼女はすでに日本語はぺらぺらなので僕がフランス語を教わるだけになりそうですが。

こうして、フランスで初めて言葉の通じる友達が出来たのです。このことは僕にとって心強い支えになりました。


つづく

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by le-tomo | 2006-02-01 22:32 | 僕の料理人の道 21~30章

~第23章 上の歯と下の歯~  <僕の料理人の道>

ちょっと修行の話からそれますが...、ある日のことです。奥歯がずきずき痛むのを感じました。

“やばいなぁ。虫歯かな。保険も入ってないし歯医者なんていけないよなぁ。”
とにかく歯を丁寧に磨いてごまかそうとしましたがどんどん痛くなってきます。
最初のうちは持ってきた痛み止めを飲んで耐えたのですがとうとう我慢できず休みの日に歯医者に行くことを決意しました。オーナーにこのことを相談して近所の歯医者を紹介してもらったのですが正直とても不安だったのです。“保険に入っていない僕のような外国人は一体いくら治療費を取られるのだろう、言葉が分からないのに症状がうまく伝わるだろうか…。”

でも、歯の痛みは我慢できず思い切って辞書片手に歯医者へ向いました。病院らしくない石造りの建物の歯科医院にちょっと驚きましたが、辺りを見回せば全部石造りの建物だらけで、日本のように近代的なビルはひとつもなかったので当然の景色として違和感なく建っていました。

玄関を入ると女医さんが出てきて待ち時間もなくすんなり案内されました。彼女が先生でアシスタントは一人もいない様子。壁一面には子供の書いた先生の似顔絵や子供向けのポスターが張ってあります。多分、女性の先生なので優しく、子供たちから慕われているのでしょう。僕はもういい大人でしたが、なぜかその雰囲気にほっとしました。

こんな時は最新の機材がずらりと並べてある機械的でスタイリッシュな施設よりも先生の優しい笑顔と柔らかい雰囲気が不安を和らげてくれました。

さて、いよいよ治療台に座って治療に入ります。まず、僕は右の奥の下の歯が痛いということを伝え、口を開けました。しばらく先生が診察をして「上の歯を治します。」みたいなことを言ったのです。
“えっ!下の歯だって言っているのに。もしかして上の歯も虫歯があるのか?”
先生は更に「下の歯は治さない。」みたいなことを言っているのです。
“どうしよう、痛いのは下の歯なのに。”
不安は一つ的中しました。うまく症状を伝えられません。
困りました。先生はなにやら理由を説明してくれいるのですがさっぱり分かりません。

“しょうがない。先生に任せるしかないな。”
観念するしかないと思ったその時、突然先生は誰かに電話をしたのです。相手が出てしばらく話をした後、僕に受話器を渡したのです。

“えっ、どうしよう。”
フランス語が話せないのに受話器を渡されても困ります、が受け取ってしまいました。
とりあえず、「ボンジュール」と挨拶。
すると、「こんにちは。」という女性の声で返ってきました。

“えっ、こんにちは…?日本語?”


つづく


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by le-tomo | 2006-01-25 19:33 | 僕の料理人の道 21~30章

~第22章 アミューズブーシュ~  <僕の料理人の道>

“覚悟”をするというのは勇気のいることでした。

やっと叶ったフランスでの修行のチャンスを、ちょっと不安になったからといって、ちょっと辛いからといって簡単に棒に振るわけにはいきません。でも、これから先、自分の弱さに負けてこのチャンスを自ら捨てるときが来るかもしれない。それがとても怖かったのです。だから、僕は帰りのチケットを破り捨てました。自分を追い詰めることで“何がなんでもこのチャンスを生かして一流の料理人になりたい”という気持ちを貫き通すことにしたのです。

そして、覚悟をして挑んだディナー営業。覚悟をしたからといってすぐに何か出来るわけがありませんが気持ちを強く持つことで周りが見えてきました。僕は必死でした。分からないことはどんどん聞きました。

そうして覚悟してからの日々は比較的仕事も順調に覚えていき、1週間もたった頃にはオーダーを聞き取れるようになりスムーズにみんなの仕事の流れに乗れるようになっていました。
まぁ、毎日同じメニューを繰り返していたので当たり前と言えば当たり前なのでしょうが1週間前の自分とは明らかに違っていました。

ある日、シェフが定期的に変えるアミューズブーシュ(食事の前に出す突き出しのようなもの)を何にするか悩んでいました。そんなシェフに僕は自分に作らせてもらえないかとお願いしてみました。もちろん、僕のような外国人に任せるとは思っていませんでしたが、シェフは「そうか、じゃあ何か作って見せてみろ。」と言ったのです。僕はチャンスと思い、冷蔵庫にあるあまりもので一品作ってシェフに見せました。

シェフは難しそうな顔でそれを試食したあと、ちょっと考えて「いいだろう、来週これを出すから用意しておけ。」と言ってくれたのです。僕が今すぐに能力を発揮できるのはこれだ!と思いました。とりあえずアミューズブーシュを作り続けようと決めました。
それから、僕は毎日、違うものを作り続ける事にしたのです。毎日、毎日、違うアミューズブーシュを1日約100人前作り続けたのです。

そしていつの間にか僕はオードブルセクションのシェフを任され、オードブルまでもシェフと相談しながら考えるようになっていました。フランスに渡って3ヶ月が過ぎた頃だったでしょうか…。

最初僕の上司だった大男のクリストフと金髪のフロロンスはその頃から僕の部下になっていました。ただ、彼らの態度は変わらず結構大きかったのですが。

まぁ、フランス語を教えてもらっていたので仕方ありません。多少、態度がでかいのは許しましょう。



つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2006-01-23 23:00 | 僕の料理人の道 21~30章
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オーナーシェフとしてのいろいろ。


by le-tomo
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