料理人の休日

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カテゴリ:僕の料理人の道 11~20章( 10 )

~第20章 いつも前向きに~  <僕の料理人の道>

とりあえず、無事に初日が終わった。意外にすんなりみんなと仲良く出来そうだ。

そんな安心感をもったまま渡仏2日目、フランスでの修行1日目は終わりました。そしてベットに横たわるとすぐに熟睡していました。

2日目、調理場へ行くと昨日と同じく誰もいなくて、とりあえず昨日習った通りにオーブンに火をつけまな板をセットしてみんなを待つことにしました。始業時間は9時と聞いていたのですがみんなが来るのはだいたい9時10分過ぎ。こんなこと日本では許されないことです。まぁ、そんなこと僕が言えるはずもなく自分だけでもきっちり時間を守ろうと思い、10分以上前には調理場に入いることに決めました。当然、1番のりです。そしてみんながすぐに仕事が始められるようセッティングを終え、みんなを待つ。まずはそれから…。

言葉が分からない以上すぐには戦力にならなさそうだったので、そうやって出来ることから少しずつやっていくしかないと思ったのです。

みんながぞろぞろ到着し、今日も昨日と同じように仕事が始まりました。仕込みをしながら分からない単語はまな板の横にある辞書を引くのですが、綴りが分からないので誰かに引いてもらうしかありません。それも営業が始まるとみんな忙しくなり僕はほとんど構ってもらえなくなるのです。

“何か出来ることは…。”

気は焦るのですが飛び交うフランス語をほとんど拾えず、ただただ邪魔にだけはならないようにと気を付けるのみ。そして、昨日よりは随分長く感じた一日が終わり部屋に戻りました。
昨夜、やっていけそうだと思ったばかりなのに今日一日でまた不安が僕を襲いはじめました。
“今日一日の仕事の流れをもう一度復習して明日は少しでも戦力になるよう務めよう。”

“いつも前向きに。”

それが本場フランスでフランス人の中でたった一人、言葉の分からない日本人が修行するために必要な心構えでした。


つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2006-01-14 00:30 | 僕の料理人の道 11~20章

~第19章 仲間~  <僕の料理人の道>

美食の国フランスの厨房での初仕事が終わり時計を見ると時計の針は0時を少しまわっていました。掃除も終わったのであとはシャワーを浴びて寝るだけ…と思いきや金髪のアプランティ(見習い)、フロロンスからこっちに来いとの合図。
彼女は今のところ僕の直属の先輩。年は15~6才。そして僕の直属の先輩はもう一人、2m位の身長がある大男のクリストフ。彼も15~6才。僕の最初の上司は2人とも見習いでした。この時点で僕が名前を覚えているのはシェフのマックをあわせてこの3人だけ。

とりあえず僕は金髪フロロンスと大男ステファンについていきました。するとレストランのすぐ隣に小さなバーがあってそこでスタッフが全員集まってめいめい好きなところに座っていました。どうやらこれからお酒を飲むような雰囲気です。

僕をアヴィニヨン駅からここまで送ってきてくれた人はどうやらソムリエらしく彼は慣れた手つきでシャンパンを2~3本開けグラスに注ぐとみんなはそれを手にとりました。僕もシャンパンの入ったグラスを手渡されました。

そして、昨夜、玄関で僕を迎えてくれた夫婦のムッシュが手にしたグラスを高く持ち上げ

「ビアンヴニュ オー マス・ド・キュルブルス 、トモ!」(ようこそ、マス・ド・キュルブルスへ、トモ!)

と叫んだのです。一瞬何事か分かりませんでしたが、みんなの視線が僕に集中しているのと彼らの表情ですぐに僕の歓迎会なんだということをさっしました。

「メルシー・ボクー!」
ありきたりのフランス語でしか返せませんでしたが、とても嬉しくて感激しました。なんだか、もうフランス人に認められたような錯覚に陥りました。

かれこれ2時間ほどおしゃべりをして…とは言っても僕はおしゃべりが出来るはずもなくただニコニコと愛想笑いするだけでしたがこの雰囲気は心地よく退屈することなく歓迎会を終えることが出来ました。
“僕が主役なのになんだか悪かったなぁ。聞かれたこともほとんど分からなかった。”
フランス語が話せないのがもどかしく“みんなと話せるようになりたい”と心から思ったのです。

この歓迎会で僕はこのオーベルジュの事を少し知ることが出来ました。会話は出来ませんが分かる単語を必死につなぎ合わせてここのスタッフの人間関係を少し知ることが出来たのです。かなり自分勝手な推測もありましたが…。

まず、僕をアヴィニヨン駅からさらった…、いえ、連れてきてくれたボンボロシトロエンの運転手はソムリエのステファン、玄関で迎えてくれた夫婦はここのオーナーでポマレード夫妻、床に寝そべっている大きな黒い犬はオーナーの愛犬イケム。そして、この建物は200年前のものだそうです。

こうして美食の国フランスで最初の仲間が出来ました。


つづく

*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。

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by le-tomo | 2006-01-05 01:52 | 僕の料理人の道 11~20章

~第18章 Tomo~  <僕の料理人の道>

「ボンソワームッシュー、ビアンヴニュ」

ドアを開けると夫婦らしきカップルと大きな黒い犬が僕を迎えてくれました。握手を求められて僕は慌てて右手を差しだし「ボンソワームッシュー、マダム」とお決まりの挨拶。二人が名前を名乗ったようだったので僕も、「ジュマペール…トモヒロ オガワ」と自己紹介。ただ、彼らの名前は聞き取れず、僕のカタカナフランス語は聞き取りにくそうでした。つぎに何か話しかけられても何を言っているのかさっぱり分かりません。
もちろん、フランス語が話せないのだからこうなるのは当然だけどちょっと不安になりました。

用意されていた2階の部屋まで案内されベッドに転がると今まで気が張っていたせいか一気に疲れが襲ってきてすぐに眠りにつきました。

なんとかなるだろう…。


朝、目が覚めて顔を洗いコックコートに着替え窓の外を見たとき、今更ながらここはフランスだと実感しました。

「よし、行くぞ!」

気合いを入れ1階の調理場に降りると朝食を用意している女性が一人、少し離れたところから僕を見つけ大きな声で「ボンジュール!」と挨拶してきたのですが僕が驚いて「ボンジュール」と少々小さめの声で返したのを聞いたのかどうか、忙しそうにカフェとミルクを温めクロワッサンとジャムがのったお盆にのせ、それを持って去ってしまいました。そして、10分ほどしてコックコートを着た男たちが現れ僕の目の前に立ちはだかりました。

昨夜と同じように挨拶をして握手をし、バカの一つ覚えのように「ジュマペール…」と名前を名乗りました。

さて、いよいよ仕事が始まります。シェフの指示でアプランティ(見習い)であろう一番若そうな男の子が僕のそばに来て手振り身振りで僕に仕事を教えます。トマトの湯むき、人参の皮むき、玉葱のスライス…与えられた一つ一つの仕事は簡単でしたが言葉が分からないとこんなにもやりにくいものかと、もどかしい気持ちでした。

その時の僕の現状といえば…

与えられたセクションはガルド・マンジェ(オードブル部門)。

僕の先輩は僕より7~8才も年下のアプランティ(見習い)。

まな板の横には日本から持ってきた命綱とも言える仏和辞典。

そして、いつの間にかみんなから“Tomo(トモ)”と呼ばれていました。



つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2005-12-18 16:32 | 僕の料理人の道 11~20章

~第17章 リル・シュール・ラ・ソルグ~  <僕の料理人の道>

初めて乗る飛行機、当然初めての海外。

期待に胸膨らませ、初めて座る飛行機のシートの感触。
車輪が滑走路から離れ宙に浮いたときの不安。
あっという間に地図でしか見たことのない日本列島がまるで地図のように目に映ったときの感動。

今でもしっかり覚えています。

機内ではとりあえず旅行用のフランス語の本を今更ながら読み始め、必死に1つでも多くのフレーズを覚えようと悪あがきをしながら到着が待ちきれない気持ちでした。

ヨーロッパ大陸が十数時間前に見た日本列島の何倍もの大きさで目に映ったとき、胸の鼓動が高まるのを感じました。大きな機体の車輪が憧れの地に着陸し、飛行機から降りて深呼吸したときの空気、香り、景色、音。
全てが新鮮で心地いいものでした。

“俺なら出来る。”

なんの根拠もない自信があふれ出てきたあの感覚も覚えています。

僕が期待に胸膨らませる最初の修業先はアヴィニヨンの郊外にあるリル・シュール・ラ・ソルグという小さな村にあるオーベルジュ。

シャルル・ド・ゴール空港に降り、まずはパリまで行き、TJV(新幹線)に乗ってアヴィニヨン駅まで行けば迎えが来ている予定。いたって簡単なはずですが初めて訪れた外国というものは何をするのも困難でした。
ようやく普通の倍以上の時間をかけてアヴィニヨン駅に着いたのですが、僕にはどの人が迎えの人か分かりません。朝5時にシャルル・ド・ゴール空港に着いたのに今はもう夜の11時を回っています。初めての外国の暗闇はものすごく不安にさせます。そんな不安の中、ものすごく大きな男が僕に近寄ってきてなにやらこっちに来いと言わんばかりに僕を連れていこうとします。この人が迎えの人なのでしょが確信出来ず、もし違ったら何処かへ連れて行かれて殺されるのではという不安に襲われました。今朝、フランスの地に降りたときの“根拠のない自信”はこの瞬間、“根拠のある不安”にもみ消されていました。
でも、彼について行くしか無いと覚悟し、彼の言うまま近くの駐車場に止めてあった古ぼけたシトロエンに乗りました。彼は僕がフランス語を話せないのが分かるとほとんど何も話さないまま運転し、シトロエンはどんどんアヴィニヨンの街の灯りから離れ、山の中へ走っていきます。

約30分後、いくつかの小さな村を通り越して水車が回る小川のある村のはずれのオーベルジュに到着しました。200年前に建てられた古いが風格のある建物です。

それが僕のフランスでの修行の出発点“マス・ド・キュル・ブルス”です。


つづく

*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。

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by le-tomo | 2005-11-26 20:39 | 僕の料理人の道 11~20章

~第16章 いざ出発!~  <僕の料理人の道>

突然訪れたチャンス。憧れていたフランス行きのチャンス。

嬉しくてたまらない気持ちでした。出発は2週間後。

まずは、親に報告。そして、フランス行きの航空チケットの手配。チケットは先輩のアドバイスで1ヶ月オープンの往復チケットを購入。これは万が一何かあっても、もしくはくじけても1ヶ月以内なら帰国できるようにとのこと。パスポートはいつでも行けるように取得済み。
そして、荷物の整理。

電話があってからたったの2週間後の出発。ドタバタと準備を進めました。僕は海外へ行くのはもちろんのこと、飛行機に乗るのも生まれて初めてでした。こんな僕がいきなりフランスへ修行に行くことを両親は不安に思っていたでしょうが顔には出さず、快く行っておいでと言ってくれました。

一つ、大事なことを忘れていました。僕はフランス語が話せないということ。フランス料理店で働いていたので食材の名前は多少分かりましたが会話となるとほとんど出来ません。あまりの急な出発でそのことをすっかり忘れていました。でも、今更あがいても数週間でフランス語が話せるようになるわけでもないし、行けば何とかなる。結構、安易に考えていました。

僕が向かう先はアヴィニヨン郊外の“リル・シュール・ラ・ソルグ”という小さな村にある「マス・ド・キュル・ブルス」という名のオーベルジュ。
僕は毎晩のように想像しました。プロヴァンスにあるオーベルジュの調理場で働く自分の姿を。
そして、フランス人に囲まれて料理を作る自分の姿を。

以前、川上のぶさんに言われた「フランスでの修行は甘くない」という言葉をすっかり忘れていました。いえ、忘れていたわけではないのですが気持ちが高ぶっていて何とか乗り切ってやると思っていました。全く不安が無かったといえば嘘になりますがなぜか自信がありました。それも、今までの過酷な修行経験のおかげでしょうか。

出発当日、関空に向かいながら今までを振り返りました。高校を卒業して大阪の調理師専門学校へ進み、初めてフランス料理というものを目の前で見て感動しフランス料理の道に進む決心をしたこと。最初に修行したレストラン「オー・ミラドー」での辛い修行でくじけそうになったこと。京都のレストラン「ラ・ヌーベル・フォンテーヌ」のシェフに惹かれフランスで働くことに憧れ夢見たこと…。

そして、一本の電話がその夢を叶えようとしていること。

今、まさにフランスへ渡って自分の腕を試し、感性を磨こうとしています。

当時僕は24歳でした。



つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2005-10-27 19:04 | 僕の料理人の道 11~20章

~第15章 憧れのフランスへ~  <僕の料理人の道>

その電話は、以前僕が働いていた「オー・ミラドー」で支配人をされていた方でした。僕は当時、彼からプロの仕事を教えられフランスへの憧れを持たせてくれた人でした。彼を強く尊敬していました。常人ではない。ただ者ではない。そんな印象を持っています。

そんな人からのいきなり電話。


「おう、元気か?小川、フランス行きたいか?」

驚きましたが、「はい、行きたいです。」と答えました。

そして、次の言葉は、

「明日にでも、行けるか?」

明日にでも…。

ためらわずに僕は即答しました。

「はい、行けます。」

それは、ごく自然に。そして当たり前のように。

数日後、彼から手紙が届きました。中にはミシュランの赤本の1ページのコピーでした。ミシュランの赤本とはフランスで最も権威のあるレストランのガイドブックで、レストランを1~3つの星で評価しているあの有名な本です。その1ページのコピーの中ほどに赤線が一本。

“ここへ行けということだろう。”

不安もありましたがいろいろ考える暇も無くそれから2週間後にはフランスへ。

あの憧れていたフランスへ…旅立ちました。


つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2005-09-30 01:26 | 僕の料理人の道 11~20章

~第14章 焦りと不安~  <僕の料理人の道>

“とりあえず、実家に帰ってお金を貯めよう。フランスへ行く方法を考えよう。”


そんなことを考えてレストランをやめ、一旦実家に帰りました。とにかくアルバイトを探さないといけません。実家に戻って最初にすることはアルバイト情報誌を買って仕事を探すこと。

実家は田舎にあるためフランス料理店は少なく、イタリア料理店でのアルバイトが決まりました。そしてもう一つ、22時からはワインバーのキッチンのアルバイトも始めました。若かったので休みの日は土方もしました。そしてコツコツとお金を貯めていたのですが、肝心のフランスへ行く方法が見つかりません。旅行で行くのは簡単ですが向こうで働くとなるとやはり難しいのです。

もうすぐ実家に帰ってから半年が経とうとしていました。不安です…。時間が経つにつれて不安が積もっていきました。

“現場から外れてしまって戻れるんだろうか?今はただのフリーターだ。”

とにかく、ある程度お金が貯まったらフランスへ行くしかない。語学学校にでも通って留学生という形で行くしかない。学校に在籍さえすれば滞在許可証がもらえるはずだからその間に仕事を探そう。

焦りが出ていました。早くフランスへ行きたくて仕方がありませんでした。

もう、行ってしまうしかない。


そんな時1本の電話が…。


つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2005-09-24 12:01 | 僕の料理人の道 11~20章

~第13章 川上のぶ先生~  <僕の料理人の道>

フランスへ行きたい…. 
     
でも、どうやって?

何とかなるさ。

両親にこのことを話したところ親戚のおじさんからこんな話をもらいました。
「川上のぶ先生という方が福井出身で今は東京にいらっしゃる。川上のぶ先生はあの村上信夫料理長(帝国ホテル総料理長)をフランスに行かせ育てた人だ。彼女の元ご実家の近所に住んでいて彼女のことを知っているという人が提携先の社長をしているので彼に話をしてもらえばきっとフランスのレストランを紹介してくれるだろう。」

そんな凄い人が僕と同郷だったなんて。ラッキーだ。これでフランスへ行ける。

数週間後、川上のぶ先生を紹介してくれるという社長さんの所に挨拶に行きました。そして、「話はしてあるから、川上先生に連絡してみなさい。」と連絡先を渡されました。

緊張はしながらも川上先生に電話をし、フランスへ行きたいと思っていることを伝えました。

川上先生のお言葉は厳しいものでした。
「あなたはフランスへ行って修行する事がどんなに厳しいものか分かってるのですか?そんなあまいものじゃありませんよ。それでも行きたいとおっしゃるのなら都内の○○○シェフのレストランで3年修行なさい。そしたら考えてもいいですよ。」

僕は唖然としてしまいました。あまかったのです。そんな簡単に、「はいそうですか、わかりました。それじゃフランスの3星レストランの○○に話をしておきますから行ってらっしゃい」なんていくわけがなかったのだ。

でも、まだチャンスはある。都内の某シェフの下で3年修行すればフランスへ行けるかも知れない。当時僕は23歳。3年後でも26歳。まだ若い。それに某シェフも有名な方だ。勉強にもなるだろう。

でも、今すぐ行きたい…。 3年も待てない…。

でも、どうやって...。


つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2005-09-09 01:02 | 僕の料理人の道 11~20章

~第12章 フランスへ行きたい~  <僕の料理人の道>

時が経ち、オー・ミラドーのスー・シェフ稲葉さんの紹介で京都のレストランで働くことになりました。紹介されたレストランは、今もうはなくなってしまったんですが麩屋町六角通りにあった“ラ・ヌーヴェル・フォンテーヌ”というレストラン。稲葉さんがフランス修行時代、アルケストラート(アランサンドラス氏がシェフを勤めていた今は無き3つ星レストランの名店)で一緒に働いていた友人がオーナーシェフのレストラン。

14席しかない小さなレストランですがセンスのいい素晴らしいレストランでした。僕が行ったときにはシェフとマダム、そしてサービススタッフが1人だけ。14席しかないので当然といえば当然なのですが。

オー・ミラドーは総勢25名のスタッフがいて分業制でしたがここは、サービスはマダムとスタッフの2人、調理は僕とシェフの2人。シェフの横についてアシスタントすることになるのでオードヴルからデザートまで全てに携わることになります。最初は戸惑いましたがここではシェフの仕事を間近で見ることができ、料理の流れを把握することが出来ました。

それにしても“ラ・ヌーヴェル・フォンテーヌ”のシェフの仕事振りはすごかった。なんせ10年近くもフランスで修行したつわもの。料理をしている時は誰も近寄れないような雰囲気です。もちろん僕は近寄らないわけにはいきませんけど。

ある日、フランス人のお客様が一人で食事に来られてシェフの料理を食べて泣いたことがありました。サービスのスタッフが心配して声をかけると彼は

「美味しい、感動した。」 …と。

京都のレストランで働いているうちにシェフを見ていて僕はフランスへ行きたいと強く思うようになりました。

シェフの話を聞き、彼の仕事振りを見て。そして人を感動させる料理を感じて。

僕は行くことに決めました。本場、フランスへ…。


つづく


*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2005-08-15 00:43 | 僕の料理人の道 11~20章

~第11章 シェフ・ド・パルティエ~  <僕の料理人の道>

ある日突然、ムッシュ(勝又シェフ)に呼ばれました。シェフルームへ来い…と。“なんだ、どうなるんだ”初めてムッシュに呼ばれて入るシェフルーム。緊張しまくりました。ムッシュの目の前に座り心臓のドキドキ音は更に加速。僕にとってムッシュは神様のような存在で直接話すことなんてほとんどありませんでした。

そしてムッシュは  「頑張ってるな」  と一言。

「は、はい」 僕は慌てて返事をしました。そして、更にムッシュの言葉が続きます。

「小川、お前来月からギャルド・マンジェのシェフをやれ。出来るだろ?」

意外な言葉に 「は、はい」 また、慌てて返事を。

ギャルド・マンジェとは食材の監理とオードブルをつくるセクションです。そして、来月から僕はそのセクションのシェフ。

どうしよう…、まだ何にも分からないのに。

そうして、不安いっぱいでもチャンスを目の前に“成し遂げたい”という気持ちで更に頑張れる。

やめなくてよかった。

シェフと付いてますがあくまでギャルド・マンジェ(一番最初のセクション)のシェフですが、それでも20歳の僕には荷が重く、そして充分にやりがいのある仕事です。



挫折しかけた未熟な僕を踏みとどまらせた父の言葉。料理人としての才能が無いんだと勝手に諦めかけていた僕に、今しなければならないことの“道”を示してくれた稲葉さんの言葉。人の言葉の力とは凄いものですね。その言葉に今でも支えられ僕はシェフになったのですから。


つづく

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by le-tomo | 2005-08-05 12:22 | 僕の料理人の道 11~20章
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エルブランシュ(麻布十番)のオーナーシェフ


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