料理人の休日

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カテゴリ:父と僕とトマトの話( 6 )

父と僕とトマトの話  第六話

僕がなぜいま十八歳の頃のことをおもいだしたかといえば、
あの頃、釣りの途中で通り過ぎたあの白い砂地で、
すばらしいトマトがつくられるようになって、
僕はそのトマトと出会ったからです。
そのトマトは「越のルビー」といいます。
ルビーのように輝いてることから、
芥川賞を受賞した福井県出身の作家である、
津村節子さんが命名したそうです。






僕が知り合ったつくり手の浜中さん夫婦は、この白方町で、
一番最初に「越のルビー」を栽培した人たちで、
浜中さん夫婦を僕に紹介してくれたのは、
福井のレストランでサーヴィスをしている、
僕の同級生でした。
彼女は、僕に断言したものでした。
「きっと、おどろくって、あのトマトを食べたら。
ほんで、きっと好きになるよ、浜中さん夫婦のことを。」









そんなきっかけで僕は、浜中さんご夫婦と、
かれらの育てたトマトと出会いました。
白方町の、小高い丘の上にある、
いちばん大きなビニールハウス。
ハウスの中は、
トマトのつると葉っぱがトンネルのように生い茂り、
下からトマトは順に赤くなっています。
赤色、オレンジ色、黄色、青色というように。




それはまるで幻想的なトマトのトンネルのようでした。
そしてそのトマトのトンネルの中心に、
浜中さんご夫婦がいて、おふたりは照れくさそうに、微笑んでいます。
浜中さん夫妻は、そっと、トマトに手を触れます、
まるで、トマトひとつひとつに話しかけるように。
(見ているだけで、おふたりが大事に大事に
トマトを育てている様子が伝わってきます、
やっぱり情が移るもんなんです)。





僕は、今までに、何十種類ものトマトを食べてきました。
二十歳のとき、最初の修行先、オーミラドーで、
ファーストトマトというフルーツトマトを食べたときには、
その、あまりの甘さにびっくりしたものです。
フランスで食べたトマトは、
オーブンで三十分焼いても、その形を保っていました。
しかもいま、日本では、いろんなトマトが手に入ります。
そんななかで浜中さんの「越のルビー」は、
なんといっても酸味と甘みのバランスが絶妙なんです、
ゆたかだなぁ、と僕はその味に感動しました。






僕たちは、浜中さん夫婦と、
何時間も話しました。
浜中さん夫婦といっても、話すのはほとんどお母さん(奥様)のほうです。
「私とお父さんの育てたトマトは絶対おいしいよ。
だって、おいしいのしか売らんもん。ねぇ、お父さん。」
お父さんは無口で、
お母さんの横でにこやかにうなずいていました。








浜中さんは、最後に、トマトの畑をながめながらこう言いました。
「来年は、もう少し、畑を小さくしてでも、
もっと、こだわって野菜をつくりたいんや。
わたしもお父さんも、もう年やからねぇ。」
「わたしらは、農協にドンと納めるよりも、
少しづつでもいいから
おいしく料理してくれるレストランで、
このトマトを使ってほしいんやよ。」







僕は、浜中さんの願いをしっかり受け取りました、
「私らのつくる、おいしい野菜を、おいしく食べてほしい。」







エルブランシュの小さな厨房で、僕は毎日料理をします。
もちろん僕は〈自分の料理〉を大事に育てています、
それは僕の作品ですから。
でも、僕はけっしてそれを一番大事には考えていません、
むしろエルブランシュを支えてくれている、
生産者人たちの意志と情熱のたまものである、
彼らの作品を、
僕の料理を通じて、出来るだけたくさんの人に伝える、
ということの方がもっと大事だと考えています。
僕は、僕の料理で、生産者と、お客様を結びつけるため、
毎日、料理を考えます。
時には悩み、苦しみます。
そんな時、助けてくれるのは、
お客様の言葉と、 生産者の方々の笑顔です。








越のルビーは、春と秋の二回しか収穫できません、
いま、エル・ブランシュにおこしになると、
「フランス産野生の茸と帆立貝のソテー
浜中さんのミディトマト“越のルビー”のコンフィを添えて」で、
お召し上がりいただけます。
ときには、アミューズ・ブーシュでもお出ししています。

僕はあの白い砂地を思い出します、
あれから十七年経って、
あの頃十八歳だった僕も、
そして、約二十年前に白方町で生まれた越のルビーも、
懸命にいまを生きています。




越のルビー、おいしいですよ。
僕が世界で一番好きなトマトです。
そのトマトは、
十八歳の頃の僕が釣り竿を車に積んで何回も通った白方町の、
一面に広がる白い砂地の畑を、
まばゆいばかりに照らしていた、
少しオレンジのかかった朝焼けや夕日の色をしています。



おわり





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by le-tomo | 2008-11-09 02:06 | 父と僕とトマトの話

父と僕とトマトの話  第五話

次の日も、そして次の日も
三国町の堤防まで、僕は釣りにでかけました。


海風が運ぶ、海草や干物の香りを懐かしく感じ、
太陽の光が海面に反射してキラキラ輝くのをまぶしく思い、
遠く、水平線近くにゆっくり走る釣り船をのどかに眺めながら、
僕は、できるだけ遠くへ、えさのついた釣り針を投げました。


あるときは朝焼けを見ながら、
あるときは夕日を見ながら。




釣りをしているといろんなことを思い出します。
若かいころの父は、
テニスとスキーが大好きなスポーツ少年でした。
そんな父が、板前の修業を始めたころ、
出前の途中で、事故に会い、足を大怪我してしまいました。
その怪我のために、
父は二度とテニスもスキーも出来ない体になってしまいました。
手術すれば、完治する可能性が十分にあったのですが、
修行を始めたばかりの見習いの父にそんなお金もなく、
父の母であるおばあちゃんも、
片親で父を育てるので精一杯だったので、
手術をするためのお金を、当時持ってなかったのです。
そのため、普通に歩けるようにはなったのですが、
激しい運動は出来なくなり、
寒くなると、今でも、怪我した足が痛むようです。



おばあちゃんが生前に悔やんだものでした、
「親として情けない、あのとき三万円があったら・・・。」
おばあちゃんは、ずっとそのことを悔やんでいました。





いつしか父は、
足の怪我の後遺症に関係なく出来る、魚釣りを覚えました。
寿司職人の父が、
魚釣りに興味を持つのは当然のことだったのかもしれません。





そんな父に連れられて、小学生の僕ら兄弟は、
年に何回か、海へ魚釣りに連れて行ってもらいました。
当時、母親と小さなお店をきりもりしていた父は、
連休といえば正月くらいで、
そのため、僕らは家族旅行に行ったことなんて一度もありませんでした。






僕らにとって、年に何回か行く、魚釣りが
最高の楽しみでした。
ときには、近所の友達も一緒に
連れて行ってもらうこともありました。
父の魚釣りはいつも、ワンパターンの仕掛けでした。
15cm以上の大物なんて釣れたことがありません、
釣れるのは、ほとんどがアジでした。




つづく
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by le-tomo | 2008-11-06 12:39 | 父と僕とトマトの話

父と僕とトマトの話  第四話

徐々に運転に慣れてきて、
僕は、父と少し会話をしました。
僕はあたり一面の砂地の畑を見て父に尋ねました、
「この辺は田んぼじゃないんや。なんかの畑?」
父は答えます、
「そうや、この辺は砂地やから、田んぼはできんのや。
たぶん、らっきょう畑がほとんどやろ。」
目の前に広がる、この砂地の畑集落が、
白方町だったのです。





父は言いました、
「智寛、明日からひとりで運転しいや。」





翌日、僕は、朝早く起き、車に乗り込みました。
僕はすでに高校卒業間近で、
あとは卒業式をむかえるだけ、
それまではずっと休みでした。
僕は、車に、物置から探し出してきた、
むかし買ってもらった釣竿をのせました。





僕は思い出していました、
東尋坊のある三国町の堤防まで、
小さい頃の僕ら兄弟を連れて、
父はよく釣りに連れて行ってくれたことを。
僕はもう道順も覚えたので、
コドモのころ楽しかった魚釣りに出かけることにしました。
途中で、餌と仕掛けを買って、
そして、砂地の畑が広がる白方町を通って。



魚釣りをしながら、これから自分に
どんな人生の体験が待っているんだろう、
とぼんやり思っていました。



つづく
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by le-tomo | 2008-11-05 13:10 | 父と僕とトマトの話

父と僕とトマトの話  第三話

運転に集中するあまり、
僕と父とはほとんど会話はありません。
父のナビにしたがって、
ハンドルを右へ切ったり、左に切ったり、
ブレーキを踏んだり、ギアをチェンジしたりと、
僕は大忙しです。
手には汗がじんわりとにじみ出ています。
福井の三月は、まだまだ寒い季節です。



ちょっと時間がかかってしまいましたが、
無事、三国に着きました。
僕と父はしばらくのあいだ海を見ました。



あのときと、なんら変わりありません。
同じ色のコンクリートの地面...
深い緑色とだんだん濃くなる青色の海...
海草の香り...
干物のにおい...
小さく「ぱしゃっ」となる波の音...
等間隔に並ぶ釣竿...
同じ光景、同じ香り、同じ音。


ただ、今は僕が車を運転をして、
父が助手席に座っていることだけが違いました。


なんだかオトナになった気分でした。
あのころから何も変わってないこの海に、
十八歳になった僕が、車を運転して父を乗せてきたことが、
僕にとって、オトナへの第一歩でした。





海まで来たのですっかり満足した僕には、
もうすることはなにもありませんでした。
あとは引き返すだけです。
帰るときに、夕日がきれいでした。





つづく
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by le-tomo | 2008-11-04 02:43 | 父と僕とトマトの話

父と僕とトマトの話  第二話

僕は、車さえ運転できれば満足だったので、
父の言うとおり、三国へ行くことにしました。
三国といえば東尋坊のある、海岸沿いの町、
僕の家から車で、だいたい三十分くらいです。
三国は、僕ら兄弟が小学生のころ、
父に連れられて、魚釣りによく行った場所です。



そこは、コンクリートで固められた堤防でした。
県が大規模な工業団地を計画し、
貨物船が乗り入れられるようにつくられたコンクリートの港です。
この工業団地計画はうまくいかなかったらしく、
船がとまっているのは見たこともありません。
工業団地のはずの土地には、
ほとんど工場など建っていません。
人々は、この何十億もかけてつくった、
テクノポートと呼ばれる港を、
多額の税金でつくった釣堀だとあきれていました。


足場がコンクリートでかためられているため、
子供がいても比較的安全です。
そのため、家族連れで釣りにくるお父さんの姿もよく見かけました。
直角に海の中へ沈んでいるコンクリートの壁に、
波がぶつかり、ちいさなしぶきをあげています。
ここは、港内なので波は静かで、
波音もちいさく「ぱしゃっ」とかるく壁にぶつかる程度。
深い緑色をした足元に見える海の色は、
遠くに目をむければ、しだいに青く、濃くなっていきます。
青く、濃い海の水平線が目に写るころには、
ちいさな釣り船がゆっくり走っているのを見かけることもありました。
海草の香りや、干物のにおいがただよい、
堤防には、等間隔で釣竿をもった人たちが並んでいます。


僕ら兄弟は、
父に仕掛けをつくってもらい、
父にえさをつけてもらい、
そして、父に遠くへ、えさのついた針とおもりを飛ばしてもらいました。
僕らは、魚が針にかかったときにだけ、リールを回し、
魚が抵抗する感触が釣竿から伝わってくるのを楽しみながら、
海の中から空中に釣り上げるところだけを楽しみました。
そして、父は魚を針から外し、
ふたたび、えさをつけて遠くへと。



そのうち、僕が小学生の高学年にもなると、
ひとりで仕掛けを作って、えさをつけ、
まあまあ遠くへ、えさとおもりを飛ばせるようになったものです。
そのころ、やっと、
父も自分の魚釣りを少しは楽しめるようになったのではないでしょうか。



そんな、思い出のある場所へ行こうと、
十八歳になって、運転免許をとった、
これからはひとりで生きていかなければならない息子に、
父は提案しました。







僕は、この白いパルサーの運転席に、
ワクワクしながら乗り込みました。
決して、かっこいい車ではないのですが、
贅沢は言ってられません。
家にはパルサーと、母親の軽自動車アルトしかないのですから。




僕は何百回と、
このパルサーの助手席には乗っていたのですが、
でも、自分が運転席に乗るのは初めてです。
僕は父より十センチほど背が高いので、
椅子を後ろに少しだけスライドさせ、
キーをハンドルの右下に差し込んで、時計回りにカチッ、カチッと
二段階まわしました。
すると、“ブルルッ”と音がして、エンジンが回転し始め、
同時に車も少し震えました。




ギアがニュートラルのまま、
ちょっとだけアクセルを踏んでみました。
“グオーーン”とエンジンがうなります、
それだけでちょっと感動しました。
僕はバックミラーとドアミラーを調節し、
いよいよ発進です。




と、思ったのですがいきなり難関です。
駐車場に前から突っ込んで止めてあったので、
バックで発進しなければ駐車場から出ることが出来ません。
クラッチをきって、ギアをバックに入れ、ブレーキを踏み、
おそるおそる、サイドブレーキを下ろしました。
次は、ブレーキペダルから、右足を外し...
・・・と、奮闘しながら、
なんとか、駐車場から脱出、
ハンドルをきって、道路にでて、
いざ、三国へ向かいました。





つづく
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by le-tomo | 2008-11-02 18:24 | 父と僕とトマトの話

父と僕とトマトの話  第一話

なにかを食べて、なにかを思い出す、
そんな体験はありませんか?
たとえばプティットマドレーヌを食べてむかしの記憶をおもいだす、
そんな有名な小説があるそうですね、
(僕は読んでいませんけれど)。
僕の場合は、トマトでした。
トマトが僕のむかしの記憶を思い出させてくれました。
僕の故郷、福井県にある、白方町のトマト畑で、
ピンポン玉くらいの大きさの真っ赤なトマト、
そのトマトを口にした瞬間、
僕は、十八歳のころの自分の思い出が、
突然フラッシュバックしてきました。







あの頃、僕は十八歳で、
運転免許をとりたてでした。
僕は、運転免許を手にしたその日から、
車を運転したくて、したくてたまらなくなっていました。
僕は、すぐに父の車、
白いパルサーを貸してくれと、父に頼んだもの。
父はこころよく承諾してはくれたものの、
ただし、危ないからといって、
自分が助手席に同乗するという条件付でした。




「さぁ、どこへ行こうか。」
車に乗ったはいいものの、行き先も決めてないし、
道も全然分かりません。
僕には、家から学校までの道順くらいしか
思いつきませんでした。





父が僕に提案しました。
「ほんなら、三国にでも行くか。」





つづく
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by le-tomo | 2008-10-31 13:33 | 父と僕とトマトの話
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エルブランシュ(麻布十番)のオーナーシェフ


by le-tomo
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