料理人の休日

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カテゴリ:僕の料理人の道 61~70章( 10 )

~第70章 マダムの愛する海岸で~  <僕の料理人の道>

僕の仕事はオードブルを中心にパティスリー(デザート部門)を手伝っていましたが、アプランティー(見習い)たちにフォワグラの下処理なんかも教えたり、ときにはソースを仕込んだりと幅の広い仕事をこなしていました。
この頃にはフランス語も会話に困らなくなっていて、指示も出来るようになっていたからでしょう。仕事が楽しくなっていました。

スー・シェフ(副料理長)のミカエルは、あのミシュラン2つ星のレストランのシェフ、ジャン・ミッシェル・ローランの下で腕を磨いたつわものでした。
毎日、大声で指示をし、妥協は許さないといった感じで緊迫感のある、色白で金髪の男でした。
奥さんのフランソワーズもこのレストランでレセプションで働いていて、とても仲のいい夫婦でした。
仕事が終わると彼はとても優しく、外国から修行に来ている僕を気遣ってくれていました。
休みの日はたまに、家に僕を招いてくれ、夕食をともにしながらよく話をしたものです。

彼女のお腹には子供がいました。
僕が来た頃はまだ分からないほどでしたが、だんだん大きくなってきました。
それでも、彼女は毎日レセプションに立ち、お客様をマダムと一緒に優しく、温かく、迎えて、見送っていました。

シェフのギヨー氏も彼女の身体を気遣って、まるで自分の孫が生まれるかのように大切に、大切に思っていました。




マダムは海をこよなく愛していました。
ギヨー氏は海を愛するマダムの為に、ブルターニュのラ・ボール(La Baule)という砂浜の海岸が美しい街に別荘を買いました。この海岸はヨーロッパで一番美しいとされている海岸で、10Kmにわたって白い砂浜が続いています。

ある日、シェフ、ギヨー氏は僕をラ・ボールに連れて行ってくれました。
ギヨー氏は僕に、あの素晴らしい海岸を見せたい、と。

僕は彼の運転するベンツにのって2日間の連休にラ・ボールに行きました。
目の前に広がる砂浜は、今まで見たこともない美しさでした。

「ここだよ、トモ!ほら、いい別荘だろ!」
ギヨー氏が自慢げに、僕に言いました...というより叫びました。



マダムは買い物に出かけ、僕とギヨー氏が二人っきりになったとき、彼は僕に大事な話があると深刻な顔で僕の目を見つめました。

「トモ、実はスーシェフのミカエルが今度うちを辞めて、フランソワーズ(奥さん)の実家に帰ることになった。子供を彼女の実家で生んで育てたいそうだ。もちろん、引き止める気はないよ。」

「そこで...」

「トモ、彼のポストを引き継いでくれないか?」

「出来れば、5年間の雇用契約を結びたい。労働許可証はなんとかするから。コネがある。」

「実は...」


彼の話には続きがありました。
それも衝撃的な...。


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          <ラ・ボールの海岸にて、ギヨー氏とマダムと一緒に>


つづく


*この記事は、僕の修行時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2007-08-16 14:17 | 僕の料理人の道 61~70章

~第69章 鳴り響く電話 ~  <僕の料理人の道>

何度となく電話が鳴り響き、そのほとんどが予約の電話でした。
ギヨーシェフは、電話が鳴るたびに、
時にはズッキーニを持ったまま、時にはフライパンを持ったまま、
電話のあるレセプションに駆け寄り、そして落胆した表情を見せる、
そんなことを繰り返していました。

「どうしたんだシェフは?今日は様子が変だ。何かの知らせを待っているのか?」

ラングスティーヌのソテー、サラダ仕立て、オレンジのソース、ベルベーヌの香り
に使うオレンジソースを作る為に、僕はオレンジを山のように絞ってジュースをとりながら、
横でサラダを掃除しているセバスチャンに聞きました。

「もうすぐ、シェフの娘さんに子供が生まれるんだって。だからシェフは落ち着かないんだよ。孫が生まれる電話を待ってるのさ。」

そうだったのか... 


シェフは、料理と同じくらい家族を愛しています。
厨房のいたるところに家族の写真が置いてあるくらいです。
そして、今日、今にも孫が生まれそうとのこと。彼にとっては大事件です。

時計の針が11時をまわった頃、朝から何回も鳴っていた電話が鳴り響くとともにシェフは飽きずに猛ダッシュで電話に駆け寄り、電話をとったマダムの様子をじっと見つめていました。

そして...

「みんなー、男の子が生まれたぞー!」

シェフの喜びに満ちた声が厨房に響き渡り、彼の目には涙がうかんでいました。
厨房にいたスタッフやホールのスタッフ全員がシェフとマダムに駆け寄り
交互に「おめでとうございます。」と握手を求めていった。

“なんだ、なんだ!”
僕は一瞬何が何やら分からなくなったが、みんなにつられてシェフのところへ“おめでとうございます”と一言いいに行きました。
そして、シェフからみんなにシャンパンが配られました。

シェフの孫の誕生をレストランスタッフ全員で喜んだのです。
僕はこの光景をみて、驚きながらも心が温かくなるのを感じました。




時計の針は11時30分をまわっています。
もうすぐランチがスタートします。
“仕込み間に合うかなぁ”
と、ちょっと焦っていたのは僕だけだったのでしょうか。

この日のランチはちょっとだけおわれましたが、
幸せな空気に包まれた心地いい一日でした。




つづく


*この記事は、僕の修行時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2007-08-09 12:59 | 僕の料理人の道 61~70章

~第68章  漂う香りとあふれる活気~  <僕の料理人の道>

いつも厨房に一番乗りするのは彼でした。


「ディディエ、もう行くのか。僕も一緒に行くよ。」

隣の部屋のドアが開く音がして、彼が外へ出て行くのに気がつき、僕は慌ててコックコートを右手に持ち、彼を追いかけました。
僕はまだここへ来たばかりでそれほど大変な仕事もなかったので、彼と一緒に先に厨房に入りパティスリー(デザート)を手伝うことにしました。

誰もいない静まり返った厨房に彼と2人。
ステンレスできたボールや鍋のぶつかる音が響いています。
ボールに生クリームを入れ、泡だて器でシャカシャカとホイップクリームを作るときの音はまさにお菓子作りの音です。

甘い香りがただよいはじめたころ、一人、また一人と料理人が現われ、厨房はざわめき始めます。それぞれが自由にコーヒーを飲み、パンをかじりながらゆっくりと仕事についていきます。

「さて、それじゃ、仕込みに行くよ。」

みんなが集まった頃、僕はディディエの場所を離れ、料理人チームに入りました。
ディディエのいるパティスリーにはコミ・パティシエ(アシスタント)のダヴィッドがいます。
彼はまだ20歳そこそこですが、いつもシェフ・パティシエのディディエより後に来ます。
日本では許されないことですが、ここフランスでは別に気にならないようです。




ブイヨンが火にかけられ、オーブンには、昨日マリネしておいたフォワグラのテリーヌがそっと入れられました。
30分ほど前まで静かだった厨房がざわめきはじめ、
パティスリーの甘い香りをおおうように、ブイヨンの食欲をそそる香りが漂いはじめ、
厨房は活気とおいしい香りが満ちあふれだしました。

僕は、オーブンからフォワグラのテリーヌを出し、真ん中あたりを竹串で静かに刺し、竹串に伝わったフォワグラの温度を唇の下で感じました。
テリーヌを湯銭からだし、重石をすると、たっぷりの脂がテリーヌ型からあふれ出します。
こうして余分な脂を取り除き、冷蔵庫で2,3日寝かせることで美味しいフォワグラのテリーヌが出来上がります。




僕がフォワグラのテリーヌを冷蔵庫にしまうと、シェフ、ギヨー氏が厨房に入ってきました。
なんだかそわそわしています。
電話が鳴るたびに、すっ飛んでいき、何かの連絡を待っているようでした。
マダムがそんなギヨー氏をみて「落ち着きなさいよ」となだめていました。





つづく


*この記事は、僕の修行時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2007-08-01 13:52 | 僕の料理人の道 61~70章

<第67章 凄腕のパティシエの名>  ~僕の料理人の道~

フランス北西部の大西洋に大きく突き出した半島のブルターニュ地方。
北には英国海峡、南はビスケー湾に面し、大西洋の恵みともいえるオマール海老をはじめ、ヒラメや帆立貝など魚介類が豊富な、フランス一魚介類が得意な地方です。

そして、このレストラン「オーベルジュ・グランメゾン」も例外ではなく魚介料理がスペシャリテのブルターニュ地方独特の料理を提供しています。
肉料理よりも魚料理が多く、中にはオマール海老だけのコースもありました。
今まで働いたレストランの中で一番、魚介の扱い方が繊細で丁寧。
肉と魚が一皿の中でうまくとけあった料理も何品かありました。

たとえば...

仔牛の胸腺肉、リー・ド・ヴォーと手長海老をパイで包んで焼き上げたパイ包み焼き、
仔羊の背肉のローストに仔羊の骨からとった出しにアサリの煮汁を加えたソース、
オマール海老と牛テールを一緒に煮込んだココット料理


僕の目にはどれも新しく斬新に移りました...が、どれもブルターニュの地方料理でした。

僕はフランスに来て3年目に入っていましたが、この独特な料理の数々にわくわくしていました。

高緯度のわりには温暖で、雨が多く、石の色一色の決して派手ではない街並みのブルターニュ地方。フランスにしてフランスではない、そんな独特な風習をもったこの地方に魅かれていました。

フランス料理といえば肉料理を思い浮かべる方が多いでしょうが、ここブルターニュ地方は魚介料理が豊富で、間違いなくフランス一、魚介料理が美味しい地方です。
フランス人が唯一、生で食べる魚介、「牡蠣」
開けたての生牡蠣にレモン汁を絞り、一口でチュルッと、一人1ダース単位で食べるというあの生牡蠣もブルターニュの特産品です。


ディナーが終わり後片付けを終え、ディディエと一緒の帰り道に...といっても1分で着きますが...

「ブルターニュの料理って面白いな」
と話しかけました。

ディディエは僕に
「ブルターニュは特別なんだ。料理だけじゃない、お菓子も独特で面白いよ。」
と僕に自慢げに答えました。

「へぇ、お菓子も独特なんだ。」

僕はここにいるうちにデザートも勉強しようかなと思いました。
せっかく、コンクールの優勝者が近くにいるのですから。

“ディディエ・ピケ”

ちょっと変な名前ですが、今、僕の横を歩いている凄腕のパティシエの名です。


つづく


*この記事は、僕の修行時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2007-07-16 03:41 | 僕の料理人の道 61~70章

~ 第66章 オマールブルトンとの格闘 ~  <僕の料理人の道>

ランチの準備といってもフランスではランチメニューが特別にあるわけでもなく、ディナーメニューとまったく同じです。
それにディナーのようにお客さんが押し寄せることもなく厨房も比較的ゆったりした時間のなかで仕込みをしながらレストラン営業をします。

今朝はブルターニュ産のオマール海老が100匹届いています。
このオマール海老は世界一といわれる美味しさ。
色はブルーで身はしっかりした筋肉質な感じ。噛めば噛むほど味が出る肉のような海老です。
オマールブルトン、又はオマールブルーと呼ばれています。

目の前にこのオマールブルトンが100匹生きて動いています。
まずは寸胴に水をはり、野菜のくずとレモン、タイム、ローリエ、岩塩をいれ沸かします。
沸いたところへオマール海老を生きたまま放り込んで3分ほど茹で冷水に落として冷やしてから殻をむきます。
スーパーに売っているエビフライ用の海老のように素手で簡単に向けるような硬さではありません。手には軍手をはめて、腹の部分の薄い殻をハサミで切り取り軽く横から押しつぶして殻をむきます。はさみの部分は大きな包丁のミネの部分を使って叩き割りながら殻をむきます。
このたたく加減がちょっと難しいのです。あまり強すぎると身がつぶれてしまい、弱すぎると殻は割れません。

そんな風にしてオマール海老と格闘をして約2時間、つやのあるプリンとした身だけを取り出します。

さて、次は殻からだしをとります。
殻を細かく叩き潰して、オーブンでからからになるまでしっかり焼き、香味野菜とブーケガルニを一緒に鍋にいれてコトコトと2時間程度火にかけ裏ごします。
この裏ごすときも殻をよーくつぶして最後の旨味まで一滴残らず絞りだすのです。

再び火にかけ軽く煮詰めながらアクを丁寧にとっていきます。
さらに細かい目のシノワで裏ごしします。
これでオマール海老のだしが完成。

さて次はこのだしからソースを...


という感じでオマール海老の仕込が進んでいきます。

僕を含めた3人のオマール海老チームはランチタイム、ほとんどオマール海老との格闘で終わりました。

このレストランのスペシャリテはオマール海老の料理です。
ディナータイムにはこのオマール海老がお皿の上で美味しくなって登場します。
僕はそれを楽しみに休憩時間をすごしました。


つづく


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by le-tomo | 2007-07-11 14:20 | 僕の料理人の道 61~70章

~第65章  オーベルジュ・グランメゾン~  <僕の料理人の道>

サンブリユーの駅で待ち合わせをしました。
約束どおり迎えが来たときはほっとしました。また、この話は無かったことになんてのはごめんですからね。

サンブリユー駅から車で30分ほど走るとミュール・ド・ブルターニュ村につきます。
ブルターニュの建物は石を積み重ねて出来ています。プロヴァンスやアルザスのようなカラフルな建物はなく、落ち着いた感じの石の色一色です。

その中に緑色のテントのあるレストラン「オーベルジュ・グランメゾン」があります。

レストランに着くとちょうどランチが終わって休憩に入るところでした。
ジャック・ギヨー氏がコックコートで出迎えてくれ、まず最初に受付にいるマダムを紹介してくれました。マダムはとても明るく気さくな感じでした。

厨房では15人くらいのコックが働いていて若い子が目立ちました。
そして、デシャップ(料理を盛り付ける台)には2~3才の男の子の写真が。
ギヨーシェフは誇らしげにその写真の孫の話と娘の話もしてくれました。
彼はとても家族を大切にしているのだなとすぐに感じました。

一通りみんなとの挨拶を終え、僕が寝泊りするアパートへ案内されました。
レストランの目と鼻の先にある2DKのアパートにパティシエのディディエとシェアすることになりました。彼は僕の一つ年上。フランスのパティシエコンクールで何回も賞をとっている腕のいいパティシエです。

ディナーから早速仕事開始です。

とりあえずオードブルセクションに入りました。
まったくメニューもわからずに見よう見真似で、初日はついていくのにやっとです。
でも、最初のころよりはフランス語もわかるようになっていたので何とかなりました。
この日、50席ほどのレストランは満席でした。

仕事が終わるのは12時過ぎです。
帰ったらとりあえず荷物を広げました。
すると隣の部屋からルームメイトのディディエがビールをもってきました。
2人で1時間ほど話をしてその日は眠りにつきました。

みんな、なんだかとても優しくて暖かい感じがしました。
これからしばらくここでお世話になることにすっかり安心して、よく眠れたのか翌朝、すがすがしい朝を迎えることが出来ました。

朝9時ちょっと前にレストランに行くと、すでにディディエが厨房にいました。

「ボンジュール、ディディエ」

僕から挨拶をすると彼は仕事の手を止めてコーヒーをいれてくれました。
そして、パン・オ・ショコラを一つくれました。

そうこうしているうちに一人、また一人と出勤してきて静かだった厨房はすぐににぎやかになりました。

さて、2日目の始まりです。
今日はランチの準備からはじめます。

つづき


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by le-tomo | 2007-07-10 13:35 | 僕の料理人の道 61~70章

~ 第64章 再びブルターニュへ ~ <僕の料理人の道>

ホテルのロビーではすでにギヨー氏がコーヒーを飲みながら待っていました。

もちろん、僕はギヨー氏の顔は知りませんが、彼からすれば日本人の僕を見つけるのはたやすいことです。彼から僕に声をかけました。
そして、いくつかの質問を受けました。

「なぜ、フランスへきたのか?」
「日本ではどんなレストランで働いていたのか?」
などなど...。

そして最後に

「ホテルオークラのムッシュ小野は知ってるか?」



「えっ!」

「ムッシュ小野?あの小野正吉総料理長ですか?・・・もちろん知ってますけど。」

この質問にはちょっとびっくりしました。
でも、小野正吉氏といえば、あのホテルオークラの総料理長でフランス料理を日本に広めるのに大きく貢献した大物です。フランス人が知っていてもおかしくありません。

彼が小野正吉総料理長の名前を出したのは理由がありました。
彼は以前、ホテルオークラへ招待され小野正吉総料理長と一緒に仕事をしたことがあったようです。

彼はこのことを、日本人の僕に誇らしげに話していました。
そして彼は日本好きでした。

一時間ほど話をした結果、僕は彼のレストラン「オーベルジュ・グランメゾン」にお世話になることが決まりました。

ブルターニュ地方にある小さな村「ミュール・ド・ブルターニュ」にある一つ星のレストランです。

僕は、再びブルターニュへ向かいました。


つづく


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by le-tomo | 2007-07-08 23:35 | 僕の料理人の道 61~70章

~ 第63章 引越し ~  <僕の料理人の道>

同居人が新しい職場へ出発するとき、僕もこのアパートを出なければなりませんでした。
ちょうど、数日前にパリで画家を目指している同郷の友人と連絡がとれ、彼女が一時帰国をするのでその間、部屋を借りることができることになっていました。

その前に、近所に住んでいる音楽家の卵である友人が、シェアしていた部屋をでて一人暮らしをはじめるということで引越しを手伝いにいきました。彼女は週に一度、シャンソンを一緒に聞きに行っていた仲間のうちの一人で、フルート奏者です。
パリ近郊から、パリのど真ん中への引越しで、彼女が頼んだ引越し屋は中国人系の男で、普通のボロい乗用車できました。

「えっ!この車じゃ荷物がのりきらないよ。」

僕が驚くと、彼女は、

「安かったの。何回も往復するのよ。」

と、平然な顔でこたえました。

“引き受けたものはしょうがない。何往復になろうがつきあうか。”

それほど荷物は多くないものの、ゆうに3往復はかかりそうです。
暇があったので二つ返事でOKしたのが間違いでした。大変な仕事になりそうです。

案の上、片道30分を3往復して荷物を運び終え、報酬のビールを一杯もらって帰りました。
冷えてないぬるいビールでしたが、美味しく感じました。


あさってはルームメイトが新しい職場へ旅立ちます。ボーヌの一つ星レストランらしいです。
僕も一緒にこのアパートを出て行くつもりです。

1週間後、僕はパリで面接があります。






引越し当日の朝、ルームメイトを送り出して、お昼ごろ僕はアパートをでました。
引越しといっても、僕はスーツケース一つの身軽な引越しです。引越し屋に頼むほどでもありません。

ピアニストの同居人は朝早くから練習に出かけているようです。
昨日の夜、お別れの夕食を3人共にしました。
このときのメニューは、ピアニストの彼の希望でカレーライスでした。



スーツケース一つ持って、電車へ乗り、部屋を借りる友人のアパートへ向かいました。
パリ16区にあるパッシーの駅についたら電話をするという約束でした。
駅に着き改札を出ると階段があり、階段を上りきったところに公衆電話がありました。
早速、彼女に電話をすると、「すぐに行くから待ってて」と言われ、その公衆電話で待つことになりました。

目と鼻の先のアパートから彼女は出てきて、僕を手招きしました。


アパート1階のエントランスには管理人のマダムがいて、彼女に紹介されました。
彼女が事情を話し、しばらく僕が彼女の代わりに住むことの了承をえてエレベーターに乗り込みました。鉄格子の檻のような古いエレベーターで、ドアの開け閉めは手動でした。

5階の彼女の部屋に行き、とりあえず荷物を置きくつろぎました。
6畳くらいでしょうか。決して広いとはいえないワンルームの部屋です。
シャワーはありましたが、トイレは共同です。
彼女は画家になる為の勉強をしている貧乏学生ですから、これが精一杯でしょう。
もちろん、ただで部屋を2週間もかりるのですから、文句はありません。
夜、窓から見えるライトアップされたエッフェル塔が彼女の自慢でした。

彼女の絵を何点か見せてもらいました。彼女はどうやら人物像が得意らしいです。
僕は絵にはうといのですが、彼女の絵は曲線のきれいなやさしい色合いの絵でした。

彼女は2日後に日本に一時帰国します。

どうやら、結婚を考えている彼がいて、このことを両親に報告し、再びフランスへ戻ってきたら彼の実家のあるニースへ引越しして一緒に住むらしいです。

そんな事情のある女性が普通、男性を泊めるなんて考えられないことですが、彼女は男っぽいさばさばした性格でそんなこと気のも止めない様子でした。

とりあえず、寝泊りする宿が見つかって、僕は安心していました。

彼女を駅まで見送り、といっても駅は目と鼻の先ですが...
いよいよ数日後、面接の日は近づいてきました。

ブルターニュ地方の一つ星、「オーベルジュ・グランメゾン」のオーナーシェフ、ジャック・ギヨー氏とパリの某ホテルのロビーで待ち合わせです。

それぞれにみんなが新しい一歩を踏み出すために旅立って行きました。

僕も同じく新しい一歩を踏み出すためにジャック・ギヨー氏に会いに行きます。


つづく

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by le-tomo | 2007-06-11 03:39 | 僕の料理人の道 61~70章

~ 第62章 3人の夢 ~  <僕の料理人の道>

パリでの失業中の楽しみの一つに、音楽家の友人達と一緒に毎週水曜日に行くシャンソンライブを行っているビストロでの食事がありました。

お気に入りのミュージシャン(アコーディオニスト)のバンドの出演日が水曜日だったのです。毎日、日替わりで違うバンドが交代で出演してました。たしか、日本円で5,000円くらいのディナーコースでミュージックチャージは自由といった感じだったと思います。狭いお店で、決してきれいな内装ではなかったのですが、味のあるいい雰囲気のビストロで、シャンソンがよく似合いました。

僕がこんなに音楽に接するとは思ってませんでしたが、たまたま知り合った友人のおかげで音楽を聴く楽しみがふえました。

彼の演奏するアコーディオンの音色は日本人の僕でもなんだか懐かしい気持ちになれる、心地いい音色でした。フランス音楽はさっぱりですが、癒されるひと時でした。
毎日、仕事が見つからない日々を過ごし、不安が多かったのですが、このときばかりはこんな生活もいいなぁ、なんて気がゆるんだことを考えたりしました。

そんな水曜日の夜、そのビストロから帰ってポストを覗くと、僕宛に手紙が一通、同居人宛にも手紙が一通、届いていました。僕のはブルターニュのレストランからです。

さんざん、手紙を書きまくって断れまくってましたので、レストランから手紙が届いても別に驚きはしませんでした。部屋に帰って手紙を読むと、「来週パリに行くので会いたい」との内容でした。

“これは面接?”

今まで、面接みたいなことが一度も無かったのでちょっと驚きましたが、念願のブルターニュのレストランです。是非、僕もお会いしたいとの旨を翌日、電話で先方のシェフに話しました。

さて、同居人ですが、彼もまた吉報で、ボーヌのレストランからOKの返事をもらいました。
彼は早速来週早々、ボーヌへ出発することを決めました。

僕はまだ決定ではなかったですが、2人同時にチャンスが訪れた特別な水曜日でした。


このことをもう一人のピアニストの同居人に報告し、3人でお祝いの外食をしようと、ピアニストから提案がありました。もちろん、喜んで食事に行くことにしたのです。

行き先のレストランはアパートの近所のイタリアンレストラン。ピアニストの彼のお勧めのレストランです。フランスでイタリアンを食べるのも妙な感じでしたが、麺好きの彼ならではチョイスだったと思います。

そこで3人は将来の夢を語りました。二人の料理人と一人の音楽家が。

別れも惜しみましたが、それより3人とも希望に満ち溢れていました。


つづく

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by le-tomo | 2007-04-21 03:58 | 僕の料理人の道 61~70章

~ 第61章 料理と音楽 ~  <僕の料理人の道>

僕の居候しているシェア型のアパートは部屋がまだ一つ空いています。
ある日、突然その空き部屋に新しく住む人がきました。家主さんからはなんの連絡もありません。ここの家主さんは、マダムKと呼ばれている、日本語がかなり上手な60歳前後の女性でした。彼女の家に、何回か呼ばれて庭の手入れをさせられたこともありました。それも、僕達のいい暇つぶしになりました。

「こんにちは。今日からおせわになります。」

突然現れた新しい住民は明らかに日本人でした。
突然だったので、驚きましたが日本人だったので容易に話ができました。
彼はまだ20歳ですが、高校を卒業してすぐウィーンに渡り、ウィーンで1年ほど勉強し、そしてパリに来たそうです。彼はピアニストの卵でした。
大きな電子ピアノを抱えて現れた彼はまだ20歳ですが、かなりしっかりした口調で話す、まじめそうな子でした。


彼はこのパリで、有名な先生の下で勉強して、世界的に有名なパリの音楽学校(すごく長い名前の学校で、学校名は忘れました)に入るらしいです。
彼は日本から送ってもらったインスタント食品を食べていました。当たり前ですが、彼は料理が全く出来ません。若いせいかいつもお腹を空かしていました。そんな彼をみて、僕はせっかく料理人なんだから彼の食事も作ろうと思い、そのことを彼に言うと、彼は凄く喜んでくれました。今まで香港人のジャーナリストの食事を作ることもありましたが、彼女は仕事でいつもよるも遅く、外で済ませているようでした。

彼はいつもよく食べてくれました。3人分くらい食べます。こんなに食べてくれると作りがいがあります。将来有望なピアニストが勉強に集中できるように、僕らが食事を作って少しでも彼を支えられればという思いでした。

彼はカレーが大好きでした。
カレーを作ると彼は、5杯は食べました。ご飯を炊くのも一度では足りないので、炊き上がったら2回戦目です。最初に炊いたご飯が食べ終わる頃に、2回戦目が炊き上がります。そんな感じの食事でした。僕も26歳。若かったですから。

こうして、僕は食事をつくり、彼はピアノを弾く…。

パリでの生活は、それはそれで充実していきました。


つづく

*この記事は、僕の修行時代のことを書いています。
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by le-tomo | 2007-02-18 14:10 | 僕の料理人の道 61~70章
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エルブランシュ(麻布十番)のオーナーシェフ


by le-tomo
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