~第35章 マダムのサンドウィッチ~ <僕の料理人の道>
“とりあえず、またマス・ド・キュル・ブルス”にお世話になってレストランを探そうか。“
“いや、サラモラシェフは僕を呼び戻すって言ってくれていた。それに賭けてみようか。一度日本に帰って仕切りなおそう。”
今、日本に帰ったら戻ってこれないような気もして不安でしたがもう一度、オーベルジュ・ド・ラトルで働きたいという気持ちも強く5時間かけて悩んだ末、結論は出ませんでした。
アヴィニヨン駅に着いた頃は初めてフランスへ来たときと同じく真っ暗でした。夜の11時を回っていました。電車から降りて改札を出るとオーナー夫妻が迎えに来てくれていました。僕を見つけるとムッシュ・ポマレードが先に僕の目の前まで駆け寄ってきて僕の肩を抱いて自分の方へ引き寄せました。
「ボンソワー、お帰りトモ。」
彼は僕より背が小さいので僕はかがむような姿勢で「メルシー、ムッシュー。」(ありがとう。)と返しました。「ただいま」と言うべきなのでしょうが「ただいま」という言葉が出てきませんでした。
マダムも笑顔で迎えてくれ彼らの温かさに感動し“このまま、彼らにもうしばらくお世話になって一からレストラン探しをしよう。”
この時、そう思いました。
荷物をトランクに入れ、僕は車の後部座席に座り、窓から見える景色を眺めました。ゆっくり走る車の中から見える景色に懐かしさを感じながら、さっきまでの不安は車のスピードと同じ速さでゆっくりと薄れていきました。
マダムが、僕がお腹を空かしてるんじゃないかとサンドウィッチを持ってきてくれていて、助手席から後ろにいる僕に手渡しました。
「ヴォアラ(どうぞ)、トモ。私のスペシャリテよ。」
レストランで余ったパンにチーズとハムが挟んであるだけの簡単なサンドウィッチで、マダムが僕を迎えに出てくる前に慌てて作った感じでした。僕はお腹が空いていることを忘れていたのですが、サンドウィッチを見ると急にお腹が空き、マダムから手渡されたサンドウィッチがたまらなくご馳走に思えました。普段料理をほとんど作らない不器用なマダムが切れない包丁でギザギザにパンを切り、ハムやチーズを大ざっぱにカットしてパンからはみ出ている不恰好なこのサンドウィッチが今の僕には最高に美味しくに感じました。
このとき僕は思いました。
“料理は作る人が食べさせる人のことを思いながら作ったとき最高に美味しくなるんだ。”
僕はフランスに料理の修業に来ています。このとき、調理技術以外のガストロノミー(美食学)を学んだような気がしました。
つづく
*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。