~第8章 初めての挫折~ <僕の料理人の道>
こんなんでフランス料理を作っていて楽しいんだろうか?それより僕はフランス料理を作っているんだろうか?
実はしょっちゅうこんなことを思いながら、いやこれでいいんだ、と言い聞かせていました。
見習いコックの仕事で唯一自分でメニューを立てて全工程を一人で作る“まかない”当番というものががあります。オー・ミラドーではほぼ全員が当番制でこの“まかない”を作っていました。もちろん、シェフも一緒に食べます。シェフに“認められたい”という一心で限られた時間、材料でいろいろ手の込んだものを作るのです。まかない当番は確かにシェフに自分の腕を試せるチャンスですがプレッシャーでもあり苦痛でもありました。
僕の当時の腕ですが、散々なものだったのでしょう。いつも僕のまかないはゴミ箱へ捨てられていました。先輩からは「小川、お前コックに向いてないよ」とまで言われ、ゴミ箱に捨てられた僕のまかないを食べさせられたこともありました。さすがに“向いていない”といわれたときはショックでした。
そのショックを引きずったままのある日のまかない当番のことです。フライパンで熱々に熱した大量のバターを右腕に自分の不注意でかぶってしまったのです。手首からひじまで大火傷。
その時でした。
スー・シェフの指示で先輩達が僕を羽交い絞めにして火傷した腕をバーナーで焼いたのです。何が起こったのか、信じられない光景に痛いとか熱いとかわけが分からず気が遠くなりそうでした。そして、冷水で冷やし、油を塗ってガーゼを巻いてビニールテープでぐるぐる巻き。
これが応急処置でした。
バーナーでの2度焼きの理由は残った皮を完全にはがし治りを早めるためだそうです。ちゃんとした理由があったとしてもその時僕は“殺される”とさえ思いました。
“もうだめだ。フランス料理を作るのは楽しくない。”
洗面器に氷水をはって火傷をした腕をつけていても痛みで眠れずこんなことを思いました。
そして“辞めよう”と。
調理場に入ってまだ、一年目。初めての挫折感を味わい、オー・ミラドーを去ることを決心し、実家の父にそのことを告げるために公衆電話の受話器を手に取りました。
そして、父の言葉は…意外でした。
つづく
*この記事は、僕が修行していた時代のことを書いています。