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料理人の休日

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父と僕とトマトの話  第五話

次の日も、そして次の日も
三国町の堤防まで、僕は釣りにでかけました。


海風が運ぶ、海草や干物の香りを懐かしく感じ、
太陽の光が海面に反射してキラキラ輝くのをまぶしく思い、
遠く、水平線近くにゆっくり走る釣り船をのどかに眺めながら、
僕は、できるだけ遠くへ、えさのついた釣り針を投げました。


あるときは朝焼けを見ながら、
あるときは夕日を見ながら。




釣りをしているといろんなことを思い出します。
若かいころの父は、
テニスとスキーが大好きなスポーツ少年でした。
そんな父が、板前の修業を始めたころ、
出前の途中で、事故に会い、足を大怪我してしまいました。
その怪我のために、
父は二度とテニスもスキーも出来ない体になってしまいました。
手術すれば、完治する可能性が十分にあったのですが、
修行を始めたばかりの見習いの父にそんなお金もなく、
父の母であるおばあちゃんも、
片親で父を育てるので精一杯だったので、
手術をするためのお金を、当時持ってなかったのです。
そのため、普通に歩けるようにはなったのですが、
激しい運動は出来なくなり、
寒くなると、今でも、怪我した足が痛むようです。



おばあちゃんが生前に悔やんだものでした、
「親として情けない、あのとき三万円があったら・・・。」
おばあちゃんは、ずっとそのことを悔やんでいました。





いつしか父は、
足の怪我の後遺症に関係なく出来る、魚釣りを覚えました。
寿司職人の父が、
魚釣りに興味を持つのは当然のことだったのかもしれません。





そんな父に連れられて、小学生の僕ら兄弟は、
年に何回か、海へ魚釣りに連れて行ってもらいました。
当時、母親と小さなお店をきりもりしていた父は、
連休といえば正月くらいで、
そのため、僕らは家族旅行に行ったことなんて一度もありませんでした。






僕らにとって、年に何回か行く、魚釣りが
最高の楽しみでした。
ときには、近所の友達も一緒に
連れて行ってもらうこともありました。
父の魚釣りはいつも、ワンパターンの仕掛けでした。
15cm以上の大物なんて釣れたことがありません、
釣れるのは、ほとんどがアジでした。




つづく
by le-tomo | 2008-11-06 12:39 | 父と僕とトマトの話
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エルブランシュ(麻布十番)のオーナーシェフ


by tomohi
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